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たけなか やすたろう

竹中安太郎

たけなか やすたろう

1846(弘化3)〜 1905.8.12(明治38)

明治期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 7区 1種 5側

 長門下関(山口県)出身。陸軍にはいり西南戦争、日清戦争に従軍。1896.9.29(M29)歩兵第21連隊長に就任。1899.12.25大佐に進級。1900北清事変で功をたてた。'01.9.30休職、同.11.3予備となったが、'04.2.6留守歩兵第2旅団長で復帰。'05.4.8日露戦争に第二軍兵站(へいたん)監として出征したが、同.8.10広島にて戦病死した。正4位 勲3等 功3級。享年59歳。没後、1階級特進し少将に任ぜられた。

<帝国陸軍将軍総覧>
<講談社日本人名大辞典>


*墓石は和型「竹中家累代之墓」。裏面は「昭和八年十一月建之 竹中泰雄」と刻む。左側に墓誌がある。墓誌の筆頭は安太郎の子で陸軍歩兵中佐で戦死した竹中虎太郎から刻む。虎太郎の没年が昭和7年であるので、虎太郎死に対して多磨霊園に墓を建之したことがわかる。なお、安太郎が没した明治38年にはまだ多磨霊園は存在していない(大正12年開園)ため、代々の寺院より改葬されたと思われる。

*安太郎の戒名は紀眞院殿忠巌安禅大居士。「正四位勲三等功三級 陸軍少将」の刻みもある。安太郎の前妻は友子、後妻は春野。墓所建之者で安太郎の孫・虎太郎の長男の竹中泰雄は、「昭和十九年十月五日に東部ニューギニア島アメリケンにて戦死、行年二十八。陸軍伍長」と刻む。虎太郎の妻の登志も昭和二十年五月二十五日戦災死と刻む。


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