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たけなか たけじ

武中武二

たけなか たけじ

1897(明治30)〜 1982.5.24(昭和57)

昭和期の教育者(成徳学園)

埋葬場所: 5区 1種 19側

 山口県下関出身。武中勇弥・コト(共に同墓)の次男。東京商業大学(一橋大)卒業。1926.8.15(T15)父の勇弥が亡くなる。 学校設立を夢見ていた父の意志を継ぎ、29歳の武二は学校設立に向けて準備を始めた。 半年後の'27(S2)2月に、自身が学んできた商業を活かし、「広く社会で活躍する女性を育てる」という精神の元、東京では初めての『5年制の女子商業』の学校設立を文部省に願い出て認可を得た。 4月、若い妻のトシ(1899-1997.1.17 同墓)の内助の功を得て、「成徳女子商業学校」を創立し開校した。
 校名の「成徳」は郷里の吉田松陰が書き残した「士規七則」の6番目の「徳を成し、材を達するには、師恩友益多きに居り、故に君子は交遊を慎む」という文章の冒頭の頭文字二文字「徳を成し」を貰い受けたものである。
 戦後、'48学制改革により、成徳中学校・成徳高等学校となる。'51学校法人成徳学園となり、成徳学園中学校・成徳学園高等学校となる。 '55私立女子校としては全国で初めて、産業(商業)教育研究校に指定される。時代の波をいち早く感じ取り、'74商業科を廃止し、普通コース・進学コースを設置して受験校に進路を変更させた。 '76創立50周年。これを記念し「せいとく幼稚園」を開園し園長に就任した。享年85歳。
 長男の武中哲夫(1927-2009.9.23 同墓)は父没後に成徳学園理事長やせいとく幼稚園長を引き継ぎ、国際交流に力を入れる学校づくり、高校女子バレーボール界の名門校へ育てた。2003(H15)下北沢成徳高等学校に校名を変更した。

<成徳学園HPなど>


*墓石には「武中家之墓」と自筆であるのか力強い刻みであり、右側に墓誌がある。「武二 九代」とあり、没年月日と行年が続く。墓誌より武中勇弥・コトの子供は、長男の勝(4歳)、長女のラク(23歳)、二女のエイ(4歳)と若くして没している。このため武二が家督を継ぎ9代目となった。

*成徳学園の校内には「武中先生の胸像」や「にこやかに働け」と刻む校訓の碑が建つ。校歌の作詞も自らが手がけた。 作曲は黒沢降朝。「若く強く 清きわれら 高き理想を 胸に秘めて ゆるがぬ大地 静かに進まん いざ友よ すすめ のぞみの花を もろ手にかかげ 正しく進まん」。


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