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たけむら えいすけ

竹村英輔

たけむら えいすけ

1931.7.27(昭和6)〜 1997.2.4(平成9)

昭和・平成期の社会思想家、翻訳家

埋葬場所: 20区 1種 6側

 1953(S28)東京大学教養学部教養学科卒業(専攻:西洋史・社会運動思想史)後、文部省調査局国際文化課勤務(事務補佐員)、翌年に退職。翻訳執筆に従事。
 '58J・ブリュア/M・ピオロ『フランス労働運動史 労働総同盟(CGT)小史』小出峻と共訳(合同出版)。10月に合化労連(合成化学産業労働組合連合)書記に就任。'61〜'62総評ベルリン駐在員として、8ヶ月間滞在。 '62ジョルジュ・カステラン『東ドイツ ドイツ民主共和国』翻訳刊行(白水社 文庫クセジュ)。'63『総評ベルリン特派員 東ドイツの生活診断』刊行(弘文堂 フロンティア・ブックス)。 '64の10月に合化労連書記を退職。'73の4月東京大学社会科学研究所非常勤講師(イタリア現代政治社会思想史)。'74の7月北海道大学教育学部非常勤講師。'75の4月日本福祉大学助教授(社会思想史)に就任。 6月『グラムシの思想』(青木書店)刊行。'76の4月日本福祉大学教授に就任。'81の9月V・ジェルラターナ編『グラムシ獄中ノート』第1巻(大月書店)翻訳に参加。 '89(H1)4月『現代史におけるグラムシ』(青木書店)刊行。'97急性骨髄性白血病で死去、65歳。
 没後、'98の3月「竹村英輔教授追悼号」(「日本福祉大学研究紀要」第98号・第2分冊〜文化領域)刊行された。

<朝日日本歴史人物事典など>
<MATHU様より情報提供>


*墓石は「祖霊」と刻む。右側に墓誌があり、竹村英輔と生年月日と生没年月日が刻む。 祖父の竹内昌次、祖母のヤスの墓は東京都港区青松寺にあったが、1997.9.15(竹村英輔没後)に多磨霊園に改葬。 他に父母の英昌、ていも眠る。墓誌には長野県駒ケ根市中沢出身と刻む。


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