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たけだ ゆうきち

武田祐吉

たけだ ゆうきち

1886.5.5(明治19)〜 1958.3.29(昭和33)

大正・昭和期の国文学者

埋葬場所: 25区 1種 23側

 東京日本橋出身。幼少は大阪で育つ。1913(T2)國學院大学卒業。小田原中学教諭を経て、東京帝国大学嘱託、國學院大学講師、'26(T15)國學院大学教授となる。
 佐佐木信綱のもとで『万葉集』校訂にあたり、『校本万葉集』を刊行。その時に、佐佐木が蒐集していた古文書の中から花山院長親の『耕雲千首』を発見し、その奥書より後亀山天皇の元中年間の南朝に仙洞(上皇)がいたことを示す記述を発見。 元中年間には既に後醍醐天皇や後村上天皇は崩御しており、仙洞として存在する可能性があるのは、この当時即位の事実について議論されていた長慶天皇以外には考えられなかった。 文学の立場から同天皇の即位について研究し、その研究は「長慶天皇を仰ぎ奉りて」(『日本及日本人』第696号)として発表された。この研究発表は、八代国治の研究発表より遅れをとったが、同天皇が歴代天皇に加えられた際には、八代と共にその功労を評価され、皇室から褒賞を与えられた。
 『万葉集』や『古事記』の研究、上代歌文の注釈的研究に優れ、'50(S25)「万葉集校訂の研究」で日本学士院賞を受賞した。主著は『上代国文学の研究』(1921)、『神と神を祭る者との文学』(1924)、『古事記研究』(1944)、『万葉集全註釈』(全16巻、1948〜51)などがある。享年71歳。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典など>


墓所

*墓石は和型「白雲堕坐處」。左面に「萬葉史生 武田氏の墓」と刻む。墓石を挟み、左に燈籠、右に歌碑が建つ。歌碑の裏に「枯骨歴名」武田祐一 S33.3.29歿と刻む。

歌碑
「むかしわれふみてあそひしゆきゝえて山はらのすきもそたちてあるらむ 」


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