メイン » » » 武田宣英
たけだ のぶひで

武田宣英

たけだ のぶひで

1870(明治3)〜 1957.10.11(昭和32)

明治・大正・昭和期の法学博士

埋葬場所: 19区 1種 6側

 高知県出身。父の宣貫は寺小屋を開き、明治になっても小学舎で教職にあった。宣英は初め母方の姓である滝本を名乗り良五郎と称し、のち良吾と改めた。
 小学校卒業後直ちに教職に就いたが、1986(M19)に上阪、刻苦精励して関西大学の前身・関西法律学校に、のち東京和仏法律学校(法政大学)に学び、93弁護士試験に合格。 1907〜10までドイツに渡りライプチヒ大学で民商法および刑事法を学び、その成果を著書『陪審員法』にまとめた。 また11日本パルプ(株)初代社長に就任、20(T9)に辞任。同年、土佐協会の理事長、関西大学協議員、29(S4)法学博士、29〜47まで同監事を務めた。
 また郷里の高知県宇佐町に教育・厚生・産業振興のため40に紀元2600年を記念して3000円を寄託、その記念碑が宇佐の海岸にある。

<高知県人名事典>


*墓石は和型「武田家之墓」。右側に墓誌があり、俗名と没年月日、行年が刻む。戒名はない。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・た行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。