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たかつじ まさみ

高辻正巳

たかつじ まさみ

1910.1.19(明治43)〜 1997.5.20(平成9)

昭和期の行政官、最高裁判事、法務大臣

埋葬場所: 22区 1種 24側

 静岡県出身。鳥取県学務部社会課長、枢密院書記官、行政裁判所評定官などを歴任後、戦後は法務庁、自治庁、内閣法制局と渡り歩いた。 1963法制局次長時代には、「必要最小限度の実力組織の保持は禁止されていない」とする憲法9条の政府解釈にたずさわり、のちに「警察予備隊の時は、『ありゃ警察だ』って言ってればよかったが、自衛隊ができちゃった以上、解釈が元のままでは通らない」とも語っている。 '67第二次、第三次佐藤栄作内閣発足の際に内閣法制局長官就任し日米安保改定などで活躍(〜'72)。後、最高裁へ移り、就任の際、法制局と最高裁の違いについて聞かれ、「法の支配という点は似ている。 しかし、政府にいれば一方の当事者。裁判官は偏しない。大事なのはそこ」と話した。
 神道信仰者でもあり、津地鎮祭事件(神社行事への公金支出と政教分離)で、「地鎮祭は慣習化した社会的儀礼であり、宗教的効果は薄い」との法廷意見に賛同。 ある公安条例事件(ハガチー事件)で、「法務府の局長時代に、公安条例合憲の判断をした当事者」という理由で弁護団から忌避申立てを受けたが、第一小法廷で却下。大法廷にも数多く携わったが、ほとんど多数意見に同調。 ただ、条例規定の明確性が問題になった徳島市公安条例事件では、明確性ありとの法廷意見に「本条例の規定は明確性を欠くが、被告の行為は規定違反」との意見を付した。
 退官後は、国家公安委員や、中曽根内閣の臨時行政委員会顧問などとして活躍。第2次竹下内閣(1988.12.30-1989.06.02)においては、民間人枠で法務大臣に任命された。『法令用語辞典』(1986)の編纂に携わった。勲一等。享年87歳。

<「最高裁物語」山本祐司>
<「日本の裁判史を読む事典」野村二郎など>
<森光俊様より写真提供>


高辻亮一 たかつじ りょういち
1884(明治17)〜1921.4.13(大正10)
明治・大正期のドイツ留学日記の執筆者
 法務大臣を務めた高辻正巳(同墓)の父。1910(M43)27歳の時に勤めていた生命保険会社から派遣され、保険学を学ぶためドイツに留学。 大学都市ゲッティンゲンを経て、'11保険学の教授の転位にともないライブチヒに移り、'13(T2)帰国。 '11(M44)元旦から留学先の大学の授業が始まる4月半ばまで日記を付け、帰国後『独逸だより』として本に仕立てた。 日記の中には幻の指揮者といわれるアルトゥール・ニキシュや、留学生仲間だった寺田寅彦についての記述があり、1996(H8)遺族により私家本で出版。 国立国会図書館、東大付属図書館、ゲッティンゲンとライブチヒの大学図書館に寄贈された。享年38才。


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