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たかせ まさつぐ

高瀬将嗣

たかせ まさつぐ

1957.1.1(昭和32)〜 2020.5.25(令和2)

昭和・平成・令和期の俳優、
映画監督、殺陣師、技斗指導者

埋葬場所: 2区 1種 5側 20番

 東京出身。父は日活アクション全盛期に活躍した殺陣師・技斗師の高瀨将敏(たかせ まさとし)。長男として生まれる。
 国士舘大学在学中よりアクション系の俳優として活動し、刑事ドラマ「太陽にほえろ」「西部警察」に出演した。大学4年生のときに刑事ドラマ「特捜最前線」で父の助手として現場に入る。1979(S54)国士舘大学文学部卒業。企業内定をもらっていたが、父親の体調が悪化したことにより、父の跡を継ぐ決意を固めアクション監督の道に進む。
 日活ロマンポルノの作品で俳優兼アクション指導者として参加。'83 映画「日本海大海戦 海ゆかば」を最後に俳優の兼業をやめ、殺陣師専業となった。
 「ビー・バップ・ハイスクール」、「あぶない刑事」シリーズ、「セーラー服と機関銃」、「すかんぴんウォーク」、「刑事貴族」シリーズ、「タンポポ」、「マルサの女」、「ミンボーの女」、「マルタイの女」、「今日から俺は」、「ナースのお仕事」、「ランチの女王」、「Aサインデイズ」、「WASABI」、「カムイ外伝」など、国内外問わず様々な映画やドラマの作品でアクション監督・殺陣師として活躍。ボディアクションの他にも時代劇の殺陣師としても活躍した。
 体にサポーターを取り付け、安全な部位には実際に当てるリアルファイトスタイルのアクションを確立。'96(H8)特撮番組『七星闘神ガイファード』ではスーツアクションとしては異色のリアルファイトに挑戦した。
 殺陣師活動の一方、1990年には東映Vシネマ作品『極道ステーキ』で映画監督としてもデビュー。アクション作品はもとより、コメディ、任侠映画などでもメガホンをとった。映画平成版『嗚呼!!花の応援団』(1996)で「インディーズ映画in横浜」でグランプリを受賞。他に監督として映画『昭和最強高校伝 國士参上!』などヤクザものやアクションものを手掛けた。遺作の『カスリコ』に「「最期の作品は、アクションも殺陣もなかった、これも運命だな」と本人は語った。
 2002 日本デジタルビデオシネマ大賞の最優秀アクション監督賞、2004 優秀監督賞を受賞した。日本映画監督協会、日本シナリオ作家協会の会員で、脚本を手掛ける際は、霧分昇(きりわけ のぼる)名義で活動した。日本俳優連合の常務理事も務めた。
 2004 映画専門誌『映画秘宝』にコラム「技斗番長・活劇与太郎行進曲」を連載。著書に『技斗番長 活劇映画行進曲』(2011)、『基礎から始めるアクション 技斗・殺陣』(2013)がある。2011「トルコにおける日本年」に参加。
 2001年、父から継承した高瀬道場で日本初の芸能殺陣流派として「芸道殺陣 波濤流」(げいどうたて・はとうりゅう)を創立。主宰として後進の育成にも力を注ぎ、スタントマンや俳優など個人事業主の実演家への労災保険適用認定にも尽力した。
 2018.11 胃がんが発見され、すでにステージIVで転移がみられた。家族以外の関係者には一切知らせずに治療を続けるも逝去。享年63歳。

<日本タレント名鑑>
<ガイズエンタテイメントプロフィール>
<朝日新聞「殺陣師の亡き夫に2度目の恋 アクションは止まっても」>
<訃報記事など>


墓所 墓誌

*国産の一枚岩の墓石前面上に「高瀬」、下に「芸道殺陣 波濤流 高瀬道場」と高瀬将嗣の自筆で刻む。裏面「令和三年五月建之 施主 高瀬詩子」と刻む。墓石後ろには「芸道殺陣波濤流高瀬道場」と題する墓誌碑が建ち下記が刻む。「前身は、日活撮影所内の「日活俳優クラブ・技斗部」。演技の斗いであるアクションを「技斗」と名付けた技斗師範高瀬将敏が1971年、東京府中市に高瀬道場を開設。以後、TV、映画、舞台などで、殺陣技斗に携わる。主宰を長男高瀬将嗣が継承し、2001年殺陣流派「芸道殺陣波濤流」を興し、広く門下生が集う場となる。」墓誌碑には高瀬道場創始者として高瀬将敏、妻の智恵子(1924.3.20-2007.10.23)、芸道殺陣波濤流創立者として高瀬将嗣が生没年月日と共に刻む。

*高瀬将嗣の妻は詩子(1966,1,25-)。大阪府八尾市出身。大阪府立清水谷高等学校卒業後に上京。多加野詩子(たかの うたこ)名義で女優として活躍。「ビー・バップ・ハイスクール」、「あぶない刑事」、「ランチの女王」など高瀬将嗣がアクション監督を務めた作品に出演。結婚後は、高瀬道場のチーフマネジメントを務める傍ら、芸道殺陣波濤流師範として殺陣指導者として活動している。株式会社ガイズエンタテイメント代表取締役。2021.1.20(R3)一般社団法人JAPAN ACTION GUILD(ジャパンアクションギルド)の設立メンバーのひとり。

*高瀬将嗣が没してすぐ、高瀬道場の近くにある多磨霊園にお墓を求め年に一回の夏に実施している抽選会に挑戦。見事当選し、この地にお墓を建立するに至った。2021.7.25(R3)納骨式が行われた。なお、高瀬家は神式である。



第99回 芸道殺陣波濤流高瀬道場 殺陣師 アクション監督 高瀬将嗣 お墓ツアー
技斗考案者 高瀬将敏


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