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たかさか ともひで

高坂知英

たかさか ともひで

1917(大正6)〜 1998.7.9(平成10)

昭和・平成期の編集人、ノンフィクション作家

埋葬場所: 3区 1種 28の2側 1番

 福岡県出身。正しくは「髙坂」。1942(S17)大阪帝国大学理学部卒業。卒業後、三菱電機研究所に入所。'52 岩波書店に転職した。
 主に自然科学系の図書編集に従事し、'55『電気とはどんなものか(小学生全集76)』、'71『いちばんちいさいもの かがくのとも33』(梶山俊夫と共著)は自身も著者として刊行。'77 退社し、フリーライターへ転身した。
 長年のロマネスク画研究のためのヨーロッパ旅行の経験をふまえたユニークな旅行ノウハウ本を立て続けに出版。『ひとり旅の楽しみ』(1976)、『ひとり旅の知恵』(1979)、『ひとり旅の手帖』(1983)、『ひとり旅の設計』(1986)、『One Travel Design』(1986)、『ロマネスクの園』(1989)がある。享年80歳。

<著者略歴>


墓所
石柱 左側 石柱 右側

*正面墓石は「志は高く」、裏面「一九七五年 知英 建之」と刻む。右隣に「髙坂 清子 / 眞澄 之墓」と刻む石柱が建つ。高坂清子(S21.2.20歿)は25才で亡くなり、高坂眞澄(S22.1.8歿)は1才で亡くなっている。墓所右側に前面「ロマネスクを旅して 髙坂知英 ここに眠る」と刻む碑が建ち、裏面「平成十年七月九日 享年八十歳」と刻む。右隣に墓誌が建つ。妻は三保子(H25.2.13歿・89才)。対面して墓所左側に前面「文京学園発展の為に全力で挑み続けた小野恵市ここに眠る」と刻む碑が建ち、裏面「尊敬と感謝を込めて 妻 繁代 長男 拓望 長女 明音 次男 智学 次女 夏実」と刻む。

*同墓には学校法人文京学園理事・総括ディレクター(文京学院大学事務局長)を務めた小野恵市(H26.10.26)も眠る。長年文京学園の発展に尽くし、60歳で在任中での急逝であった。なお、妻の繁代が高坂知英の娘であると推測する。


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