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たかの ゆういち

高野雄一

たかの ゆういち

1916.11.3(大正5)〜 2004.3.25(平成16)

昭和・平成期の国際法学者

埋葬場所: 24区 1種 47側

 東京出身。父は国家公安委員として警察行政に貢献した弁護士の高野弦雄、弟に銀行家の高野健次(共に同墓)。岳父は日本の労働法の開拓と体系化につとめた法学者の菊池勇夫(いさお)。
 1941(S16)東京帝国大学法学部卒業し、同大学の助手となる。横田喜三郎に師事し、国際組織法を研究した。'44外務省条約局勤務。 '48法政大学教授となり、'49東京大学法学部助教授、'56東京大学教授となった。'62法学博士。'77定年退官し、東京大学名誉教授。 同年より上智大学法学部教授、'88八千代国際大学政治経済学部教授を務めた。
 国際法の権威として知られ、日本のポツダム宣言受諾を無条件降伏とする説に反対し、「日本人をアメリカ史のゲームから解放せよ」と主張していた文芸評論家の江藤淳を支持した。 著作は多く、代表的なものに『国際法概論』『憲法と条約』『国際組織法』『日本の領土』『国際社会と法』など。享年87歳。

<コンサイス日本人名事典>


*墓石は和型「高野家之墓」。右側に墓誌がある。高野雄一のみが戒名はなく俗名のみ。


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