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たかひら こごろう

高平小五郎

たかひら こごろう

1854(安政1)〜 1926(大正15)

明治・大正期の外交官、男爵、政治家

埋葬場所: 3区 1種 24側 7番

 岩手県出身。田崎三徹の3男、一関藩士高平真藤の養子。開成学校卒業後、1873(M6)工部省に出仕、76外務省に転じたのち、81外務書記官、92以降、多くの欧国の公使を歴任し、99外務次官、1900米公使となり、05ポーツマス講和会議には小村寿太郎とともに全権委員として活躍。 06功により男爵、06〜07貴院議員に勅選。08米大使となり、国務長官エーリヒュ=ルートとの間に太平洋方面の現状維持と清国における機会均等主義を定めた〈高平・ルート協定〉を締決。10伏見宮貞愛親王に随行して渡英、12退官。17〜26(T6〜15)再度貴族院議員に勅選された。

<コンサイス日本人名事典>


*明治40年11月4日に日露戦争の講和全権委員の功により男爵の爵位を授爵。小五郎→小太郎→陽一郎


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