愛知県出身。1885.9.15(M18)軍医校生徒、1889.11.12海軍少軍医候補生となり、1890.7.28呉海軍病院に勤務、1891.1.26海軍少軍医となり横須賀病院付を経て、同.6.11造兵廠勤務。1893.5.20待命、同.6.21筑波乗組、1895.6.24大連湾要港部付 兼 水雷敷設隊付、同.8.6佐世保海軍病院付、同.9.9横須賀海軍病院付を経て、同.11.25厳島乗組。
1896.1.15海軍大軍医となり、同.2.7横須賀海軍病院付、同.4.8軍令部出仕、1899.5.22浅間乗組、1900.6.23横須賀海軍病院付、同.8.1初瀬乗組 兼 回航委員として英国出張。翌.4.15帰着し、同.7.4馬要軍医長に着任した。'01.10.1海軍軍医少監に進級し、'02.12.18海軍軍医校監事、副官も兼務する。'04.1.18更に造兵廠付を兼務し、同.2.2横須賀鎮守府付、同.2.4日進受領委員となり、同.2.16日進軍医長に就任した。この時期に日露戦争が勃発。'05.1.12軍医中監に累進し、同.3.27佐世保海軍病付 兼 佐世保鎮守府付で日露戦争終結。同.12.12医務局局員。
'10.9.15舞鶴海軍病院第二部長 兼 看護術練習所長 兼 消毒所長、'11.4.22舞鶴海軍病院副長 兼 第二部長 兼 消毒所長を歴任した。同.12.1軍医大監に昇進。'13.4.1(T2)舞鶴海軍病院長 兼 舞鶴鎮守府軍医長、同.12.11第1艦隊付、'14.12.1医務局局員、臨時建築部部員、艦本艤装員、海軍軍医校教頭を兼務し、'16.12.1呉海軍病院長 兼 呉鎮軍医長に任ぜられる。
'17.6.1軍医総監となり、同.12.1 海軍軍医学校校長に就任した。'19.9.23軍医少将に進み、同.12.1 海軍省医務局長を務める。'21.12.1軍医中将に昇進。'23.12.1 軍令部出仕、同.12.10待命。'24.2.25予備役となるも、翌年逝去。享年57歳。