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すずき かんのすけ

鈴木寛之助

すずき かんのすけ

1875.2.6(明治8)〜 1925.4.22(大正14)

明治・大正期の海軍軍医(中将)

埋葬場所: 3区 2種 8側 11番

 長野県出身。第四高等学校医学部卒業後、海軍軍医となる。ドイツ留学し、帰国後は軍医としての経歴を重ね、英国駐在などを務めた。1915.11.13舞鶴海軍病院第一部長となる。
 1916.4.1(T5)軍医大監。同.12.1軍医校教官。'18.12.1横須賀病院副長兼第一部長、'19.6.1第一艦隊軍医長、'20.12.1出仕兼軍医校教官を経て、'21.12.1軍医少将に昇進し、舞鶴海軍病院院長となった。 '22.12.1海軍軍医学校校長に就任。'24.12.1横須賀病院院長になるも、翌年('25.4.18)突如執務中に脳槽血(くも膜下出血)で昏倒、治療のかいがなく同.4.22に逝去。享年50歳。没後、特進し軍医中将となる。正4位 勲3等。医学博士。

<帝国海軍提督総覧>
<講談社日本人名大辞典>


*墓所は周囲の墓石と比較して突出して大きく、前面に「海軍軍醫中将 正四位 勲三等 醫学博士 鈴木寛之助之墓」と刻む。裏面が墓誌となっており、戒名は寛光院殿義山榮忠大居士。


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