住吉如慶 (じょけい) 【初 代】
1599(慶長4)〜 1670.6.2(寛文10)
江戸時代前期の画家
名は廣通、忠俊、のち内記、旧姓は土佐。画風は土佐様式。堺で土佐光吉、光則父子に学んだ後、京都に移る。
1654土佐光起と内裏障壁画を画く。1661(寛文1)薙髪して如慶と名のり、また法眼に叙せられる。
後西天皇の勅を奉じて住吉絵所を再興し、1662住吉家をたてた(住吉派の祖は鎌倉時代の住吉慶恩と伝えられるが末流がなく後西天皇の勅命で住吉姓となる)。
天海僧正の取持ちで家康に拝謁、東福門院の御用を勤めるなど、江戸にやまと絵を伝える。
作品には「堀河夜討絵巻」のほか大小の絵巻物がある。享年72歳。戒名は法眼如慶月江廣通居士。 墓正面「法眼月江如慶居士」。
住吉具慶 (ぐけい) 【2代目】
1631(寛永8)〜 1705.4.3(宝永2)
江戸時代前期の画家
如慶の長男。名は廣純、のち廣澄、通称内記。1682(天和2)京都から江戸に移住し、幕府の奥絵師となる。
大和絵を江戸に広めたが、大和絵系統の画家で幕府に召使えられた最初の人で、以後住吉家は幕末期まで代々幕府の御用絵師として仕える。
1674(延宝2)妙法院堯恕法親王の許で剃髪して具慶と号し、1691(元禄4)法眼に叙せられた。
作品は絵巻物が多く、1672(寛文12)作の「筥崎八幡宮縁起」や「洛中洛外図」、父との合作の「東照宮縁起絵巻」などがある。享年75歳。
戒名は圓龍院法眼具慶翠雲松岩居士。 墓正面は「圓龍院法眼具慶居士」。
住吉廣保 (ひろやす) 【3代目】
1666(寛文6)〜1750.5.28(寛延3)
江戸時代中期の画家
具慶の子。初名は広芬(ひろおき)、通称は内記、内蔵允。法名は至石。幕府の御用絵師となる。享年82歳。戒名は殘紅至石居士。
「高木家之墓」合葬。
住吉廣守 (ひろもり) 【4代目】
1705(宝永2)〜1777.10.21(安永6)
江戸時代中期の画家
廣保の子。のち名を内記。薙髪して賀慶・至全。1734(享保19)父祖に続いて幕府の御用絵師となる。
子がなく板谷桂(慶)舟の子を養子とした(廣行)。門人に慶舟と粟田口慶羽を出し、この2人はそれぞれ板谷家と粟田口家をたてた。
住吉家中興の名人といわれた。慶至と号す。享年73歳。戒名は正見院慶至丹翁廣守。墓正面「慶至全廣守之墓」。
住吉廣行 (ひろゆき) 【5代目】
1754(宝暦4)〜 1811.8.6(文化8)
江戸時代後期の画家
住吉派の板谷桂舟の長男。通称は内記。号に景金園。住吉廣守の養子となり、1781(天明1)幕府の御用絵師となる。
寛政の内裏新造にあたって紫宸殿の賢聖障子などを描いた。作品に『御屏風之記』、『源氏物語須磨絵巻』などがある。享年57歳。
戒名は隆善院廣行達道居士。墓正面「 隆善院廣行達道居士」。
住吉廣尚 (ひろなお) 【6代目】
1781(天明1)〜 1828.7.21(文政11)
江戸時代後期の画家
廣行の長男。通称は忠蔵、内記。号は頑中。父の跡を継いで幕府の御用絵師となる。和画(大和絵)の鑑定に優れていた。
有名な作品としては「東照宮縁起絵巻」などがある。享年48歳。戒名は眞達院謙山廣尚居士。 「高木家之墓」合葬。
住吉弘貫 (ひろつら) 【7代目】
1793(寛政5)〜 1863.7.22(文久3)
江戸時代後期の画家
廣行の次男。はじめ廣定、のち弘定。通称は内記。兄の廣尚の死後家督を継いで、御用絵師となる。紫宸殿の賢聖障子を描く。
技巧の卓抜なことにより、幕府の御用絵師が旗本と同格になった。江戸後期の住吉派の名手といわれた。享年71歳。
戒名は眞巧院徹道弘貫居士。墓正面「眞巧院徹道弘貫居士」。
*廣貫と書く文献もある。
住吉廣賢 (ひろかた) 【8代目】
1835(天保6)〜 1883.5.30(明治16)
江戸時代後期・幕末期の画家
弘貫の養子。本姓は遠藤。通称は内記。狩野友信らとともに1878(M11)来日したフェロノサの日本美術研究に協力した。享年49歳。
戒名は常輕院深達廣賢居士。「高木家之墓」合葬。
住吉廣一 (ひろいち) 【9代目】
1866(慶應2)〜 1906.2.17(明治39)
明治期の画家
廣賢の子。享年39歳。戒名は信風院彩霞廣一居士。「高木家之墓」合葬。