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すぎもと たかし

杉本貴志

すぎもと たかし

1945.3.31(昭和20)〜 2018.4.5(平成30)

昭和・平成期のインテリアデザイナー、
スーパーポテト創業者

埋葬場所: 9区 2種 1側 8-3番

 東京中野出身。軍事関係の仕事をしていた父、母、姉二人の5人家族であった。戦時中、一度高知に疎開するが、戦後に帰京。1968(S43)東京芸術大学美術学部工芸科卒業。幼少期から剣道を習っており大学卒業後、調布警察署で剣道を教えた。
 '72 ファッションデザイナーの山本耀司による初めてのアパレルショップ「ワイズ」の内装、バー「ラジオ」の内装を手掛けた。「ラジオ」は、杉本が大学在学中に通っていたジャズ喫茶の店員だった尾崎浩司が独立して開いた店である。'82 改装後、円弧の連なりを描くように設置された照明が印象的な内装となった。重厚感のあるカウンターは彫刻家の若林奮によるもの。以後、'83 パシュラボや、'84 ビーインで同作家と協働で内装を手がけている。
 '73 設計会社「スーパーポテト」(株式会社スーパーポテト)を創立。'75 グラフィックデザイナーの田中一光と共に西武百貨店の環境計画に参加し、西武セゾングループのデザインディレクターとして、国内の店舗の立ち上げを行った。
 '80 代表的な仕事のひとつである「無印良品」の創立にも参加し、ブランドの思想構築から店舗の内装設計まで関わった。このプロジェクトで杉本が大事にしたのが「空間の感性」である。時代の持つ空気感を反映しながら、店舗空間自体がある種のイメージを発信できるような店づくりを試みた。そこで鍵となったのが素材選びである。人間のコントロールが及ばない素材の経年変化に面白みを見出し、1店舗目の青山店では、古民家の廃材を再利用した木、錆びた鉄板、古い工場にあった劣化したレンガなどを用いた。後に自著のタイトルにも採用した「無作為の作為」という考えをここに見ることができ、自身の創作にとって重要な言葉になる。
 '85 毎日デザイン賞(1984年度)、インテリア設計協会賞(1984年度)を受賞。'86 自身が内装を手掛けた飲食店「春秋」を設立し、代表取締役となり経営を始める。2店舗目としてオープンした春秋赤坂店では、陶芸作家、辻清明に店で使う器の作陶を依頼するなど、空間だけでなく、総合的な食体験を提供するレストランを目指した。同年二年連続、毎日デザイン賞(1985年度)。
 90年代にグランドハイアットシンガポールのレストラン「Mezza9」の内装を手掛けたことがきっかけで海外での仕事が増加。その後、パークハイアット・ソウル、ハイアットリージェンシー・京都など、国内外のハイアットホテルの内装に加え、シャングリラ、ザ・リッツ・カールトンなど世界展開をしているホテルのインテリアも手がけた。そのほかの代表作に銀座グラフィックギャラリー(1986)や成田ゴルフクラブ(1989)、レストラン「響」(1998─2002)、妙見石原荘(2007)などのインテリアがある。
 '92(H4)武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科の教授として後身の教育に従事。同年、裏千家の伊住政和を中心にデザイナーやアーティストたちが集って茶の湯を楽しむ会「茶美会」のメンバーとして原宿クエストホールで開催された「茶美会・然」に茶室「立礼」、'93「茶美会・素」に茶室「素」を出展。
 2001年「Restaurant Design of the Year」受賞。また国土交通大臣賞も受賞した。2003 ミラノサローネで行われた「MUJI Exhibition」に参加。2004 日本商空間設計家協会理事となり、2013より名誉理事。2007 第1回 KU/KAN賞を受賞。2008 ギャラリー間で個展「杉本貴志」展を開催し、水の茶室と鉄の茶室を展示した。同年「Interior Design Magazine Hall of Fame Awards 2008」を受賞。この間、1985-2009 TOTOが運営するギャラリー間の運営委員として、展覧会の企画に携わった。2011 武蔵野美術大学停年退官し名誉教授。
 主な著書は『交感スルデザイン』(共著:1985)、『春秋』(2004)、『杉本貴志のデザイン発想・発酵』(2010)、『無為のデザイン』(2011)、『Super Potato Design : The Complete Works of Takashi Sugimoto』(2015)、『A life with MUJI』(無印良品:2018)がある。
 ハイアットホテルや無印良品をはじめ、主に商業空間を舞台に、国内外のバー、レストラン、ホテル、ショップの内装デザインから総合プロデュースまでを手がけた。マーケットの動向にデザイン寿命が左右され、めまぐるしく変わる商空間のデザインにおいて、40年以上、インテリアデザイナーとして存在感を示し続けてきたことは日本のデザイン史のなかでも特筆すべきことである。心不全のため死去した。享年73歳。没後、妻の杉本泉が「スーパーポテト」の代表取締役に就任し継承。長女で写真家の杉本青子も取締役に就任し、杉本イズムを継承している。

<日本美術年鑑>
<PLAT 日本のデザインアーカイブ実態調査「杉本貴志+スーパーポテト」>
<著者略歴や訃報記事など>


*墓石は洋型「杉本家」、右面「令和三年九月吉日 杉本泉 建之」と刻む。墓石の裏面が墓誌になっている。「ペトロ 杉本竹千代」(H3.10.13歿)から刻みが始まる。次に杉本貴志が刻み、「(株)スーパーポテト創業者 七十三才」と刻む。


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