メイン » » » 杉 廣三郎
すぎ ひろざぶろう

杉 廣三郎

すぎ ひろざぶろう

1883.12.16(明治16)〜 1962.8.11(昭和37)

大正・昭和期の鉄道官僚、技師、北支のパイオニア

埋葬場所: 2区 1種 3側

 愛媛県三芳村出身。杉晴之助の三男として生まれる。1907(M40)東京帝国大学工科大学土木工学科卒業。 帝国鉄道庁に職を奉じ、岡山建設事務所長、国府津改良事務所長、工務局計画課長を歴任。 '29.8(S4)鉄道省工務局勅任技師を退官するまでの22年に亘り、日本国有鉄道の建設改良および計画設計部門に多大の貢献をした。 この間、'14(T3)鉄道事業研究のため一年間アメリカに留学した。
 退官後は、東京地下鉄道株式会社技師長、'34(S9)南満州鉄道株式会社鉄道総局次長、次いで北支事務局長、'39華北交通株式会社理事に迎えられ、'43に退職するまで満州および北支における鉄道の建設および経営の樞機に参画し、その功績により勲二等旭日重光章を授けられた。
 '50帝都高速度交通営団に技術顧問として迎えられ、爾束12年間、新線の計画建設に盡粹したが、'62病のため東京都世田谷区等々力町の自宅にて逝去。享年78歳。没後、宮中より永年の功労に対して銀杯一個が追賜された。

<廣三郎之碑より>


廣三郎之碑

*墓石に「杉家之墓」。裏面は廣三郎の前妻の月尾('24没)、後妻の冨美子('45没)、杉知也の妻の章子の簡略歴が刻む。右面には杉知也の簡略歴が刻む。墓所右側には「廣三郎之碑」が建ち、碑文は上記したとおり。戒名は真徳院乾外宗廣居士。行年は80歳と刻む。墓所左側には墓誌があり、杉知也と杉穎夫の名・没年月日、行年が刻む。なお、子の杉知也は鉄道官僚である。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・さ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。