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すがわら とおる

菅原 融

すがわら とおる

1885(明治18)〜 1940.7.8(昭和15)

明治・大正・昭和期の剣道家(八段)、
東京高等師範学校教授

埋葬場所: 11区 1種 8側 46番

 山形県東田川郡本郷村(朝日村)出身。山形師範学校卒業後、直心影流の木村数秀に師事し、専心修行を続けた。 東京高等師範学校英語科に入学、同校剣道師範高野佐三郎について小野派一刀流を学び免許皆伝を得て秀士の称号を得た。卒業後、豊島師範、東京府立第五中学校で教鞭をとるかたわら、東京高等師範学校体育科剣道部の講師となった。'36(S11) 高野佐三郎の退職に伴い教授に就任。
 日頃より剣道の実際化、即ち剣道即生活を説き、自身もまた剣の理をもって生活し、技の中心は凡て腰にありとして、腰の働きの力学的研究をなし、指導上多くの功績を残した。著書『新編剣道』は彼の剣道を知る好著といわれている。

<体育人名辞典>
<昭和物故人名録>
<MATSU様より情報提供>


墓所

*墓石は和型「菅原 / 高橋 家之墓」、裏面「昭和十八年一月建之 施主 菅原浩」。墓所内左側に「菅原融君碑」が建つ。この碑は没した三年後に門人によって建てられたとあり、昭和十八年十月、題額は峯岸米造、撰並書は近藤正治と刻む。


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