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そがわ しゅんいちろう

十川俊一郎

そがわ しゅんいちろう

1951.12.1(昭和26)〜 2017.1.23(平成29)

昭和・平成期の模型研究家、
模型作家、プロモデラー

埋葬場所: 20区 1種 52側

 神戸出身(プラコン大作には東京出身)。小学3年生の頃から三共や三和の30円プラモで遊び始めた。中学、高校となるとスロットカーブームと入れ替わりに、1970年代初頭のタミヤのミリタニーミニチュア(MM)が勢いを増し、模型店に集まった同志とAFV(装甲戦闘車両・America's Funniest Home Videosの略)の模型サークル「カンプグルッペジーベン(KG7)」なるモデラー集団を組み、多くのコンテストで活躍した。
 大学時代はメーカーで手伝いをし、バンダイのガンプラで初めて模型を製作。以降、ミリタリージオラマの製作者として活動を始める。
 AFVモデラー界の草分け的存在であり、AFV模型、アニメモデル、ジオラマ(ディオラマ)関係を得意とし、ジオラマ製作の第一人者と称される。またカンプグルッペジーベンのメインメンバー(代表、後に会長)としてタミヤ系の広報誌、模型雑誌の作例記事などで活躍。工作科学雑誌「模型とラジオ」でも執筆。加えてHJ誌やバンダイ模型情報「クロスオーバー」や新紀元社の模型雑誌「スケールモデルファン」で懐かし系プラモの製作記事を書いた。
 1980年代初頭、『コミックボンボン』でプラモデル漫画『プラモ狂四郎』(やまと虹一、クラフト団)が人気を博していたことで、1983 小学館のコロコロコミックで斉藤栄一による『プラモ天才エスパー太郎』(全3巻)が連載された際にカバージオラマを担当した。その後、同じコロコロコミックに連載された、たかや健二『3D甲子園プラコン大作』(全6巻)の連載が始まるに当り、テクニカルアドバイザーとして携わった。「プラモと自分を同化させる」というマンガスタイルを確立させた。『プラモ名人大作戦』では監修を務めた。
 プラモデルブーム時代では、岸川靖や藤川政秀と並び小学館御用達として模型作家として製作記事を多く執筆した。7年に渡りガンとの闘病生活を送るも逝去。享年65歳。

<訃報記事や著者略歴など>


*墓石は洋型「十川家」。右側に墓誌が建つ。戒名は釋浄俊。


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