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しのはら たいすけ

篠原泰助

しのはら たいすけ

1875.10(明治8)〜 1948.7.6(昭和23)

明治・大正・昭和期の法務官僚、検事

埋葬場所: 14区 1種 4側

 愛媛県出身。篠原武平の3男として生まれる。1903(M36)分家。
 1898(M31)東京法学院卒業。卒業後、判事登用試験に合格し、1902 判事となる。山田区岐阜地方、高山区金澤地方、名古屋地方の各裁判所判事を務め、次いで名古屋控訴院判事、名古屋、山口、長崎の各地方裁判所部長を歴任した。
 小倉区裁判所判事の監督に任ぜられる。那覇や福井の地方裁判所所長に就任した。'26(T15)長野地方裁判所長に補せられた。従3位 勲3等。享年72歳。

<人事興信録>


*墓石は和型「篠原家墓」、裏面「昭和十一年四月 篠原泰助 建之」。右側に墓誌が建つ。墓誌は次女で27才でなくなった千代(M42.9-S10.4.27没)から刻みが始まる。次に篠原泰助が刻む。戒名は法泉院覺恭道居士。行年は74才と刻む。また「従三位 勲三等」「那覇・福井・長野・静岡・地方裁判所長・大審院検事」と刻む。妻は くま(M13.8-S38.8.17没・行年83才)。長男は篠原平(M37.2-S56.4.22没・行年77才)。

*篠原泰助の妻の くま は、中井勘平の三女、香川県出身。二人の間には3男3女を儲ける。長男は平、長女は信子(M39.4生)、二女は千代(M42.9生)、三女は よし(M44.9生)、二男は茂(T3.3生)、三男は泰(T5.9生)。


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