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しのはら まさじ

篠原昌治

しのはら まさじ

1878.7.7(明治11)〜 1931.5.10(昭和6)

明治・大正期の医学博士

埋葬場所: 12区 1種 18側

 山口県大津郡通村に生れる。山口高等学校を経て1903(M36)東京帝国大学医科卒。 同大学に医科副手となり入沢内科に勤務、また衛生学教室にて衛生学および細菌学を研究し、1905(M38)2月二等軍医に任ぜられ日露戦争に従軍。 同年8月休職となり、9月再び東京帝国大学医科前職につく。1907(M40)12月高知県高知病院内科部長に転職し、1910同職を去り北海道小樽市に私立病院を経営する。
 '14(T3)3月より東大法医学教室で三田教授指導のもとに血清科学を研究し、'16逓信省官吏練習所保険医学教授となり、また為替貯金局技師に任じられ、更に簡易保険局技師および船員保険局技師を兼ね、'22医学博士の学位を受け、逓信省技師、簡易保険局契約課長となった。正六位勲五等。享年53歳。

<平凡社『日本人名大事典』>
<MATSU様より情報提供>


*墓石は和型「篠原家之墓」。右側に自然石の墓誌があり、正四位 勲三等 醫学博士 と刻む。戒名は光●(木+條)院釋明蕭居士。没年月日・俗名・行年が続く。同墓所には勲三等瑞寶章を受章した子の篠原三郎(1921-1998.1.11)も眠る。

※ある人名辞典には没月日が5月11日とあるものがあるが、墓誌には5月10日と刻むので、そちらを優先する。


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