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しもじょう くまいち

下條久馬一

しもじょう くまいち

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大正・昭和期の伝染病学者

埋葬場所: 14区 1種 14側

 東京出身。父の下條●莵吉(おときち *●=草冠に於 同墓)は『育児の栞』の著者。
 東京帝国大学を経て、東京市駒込病院に着任。1921(T10)チフス様の疾患から一新種を発見し、これをパラチフスK菌と名づけた。その後、すぐに金沢大学教授となり、その研究を続けた。 本来であれば、この発見は下條のものとなるが、欧文論文がなかったことや、その後、台湾に渡るなど、研究場所が転々としてしまったことにより菌の発見者としての名を失ってしまった。 なお、この菌の発見者は東北大学の青木教授が「Salmonella sendai」と名づけたことが初とされてしまっている。
 台湾に移り、台北帝国大学の教授、台湾総督府警務局衞生課技師、台湾熱帯研究所長などを歴任し、台湾のハンセン病政策に尽力。 また、1932(S7)頃にアフリカマイマイ(近縁種とともに世界最大の陸産巻貝の一種)を食用として、シンガポールから台湾への最初の流入を行った。

<石川県人名辞典など>


墓所

*墓石は蔵状で「下條家之墓」。右側に墓誌がある。


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