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しみず とみ

清水登美

しみず とみ

1896.1.1(明治29)〜 1994.5.16(平成6)

明治・大正・昭和・平成期の教育者、
きものデザイナー、洋裁教育の草分け

埋葬場所: 22区 1種 10側

 岐阜県出身。雅号は秀玉。1913(T2)椙山女子専卒業。
 1911(M44) 岐阜県大垣市に裁縫私塾を設立。1916(T5)日本初のミシン学校「大垣洋裁女塾」を設立。'19 東京進出。青山に「ミシン洋裁塾」創設。'24 関東大震災後、豊島区大塚に日本初の洋裁学校「東京女子高等ミシン学校」を開設。'27(S2)東京府認可となる。'39 厚生省婦人標準服制定委員として全国で指導。'41「東京服装学園」に校名変更。'45 東京大空襲により学園全焼。
 '46「東京服装学園」久我山・杉並分教場を設立。戦後の服装教育のスタートを切る。翌年、渋谷区常盤松小学校に仮教室・渋谷校発足。'49 渋谷区美竹町(現在地)に新校舎を竣工。'52 服飾デザイン科・和裁科を新設。'55 校舎新改築。清美寮を設置。'56「“若い人の装い”ショー」「都内高校生徒作品コンテスト」を本年より毎年開催。'63 東京都知事より「教育功労賞」を受賞。'65 娘のときと共に『現代和裁全書』を刊行。'67 学校法人「清水学園」設立し会長。'68 勲五等寶冠章。
 '76 専修学校令により「清水学園専門学校」に昇格。専門学校清水とき・きものアカデミアを開校した。娘のときと共に日本きもの界で活躍し、日本きもの文化協会名誉会長などを務めた。心不全により没した。享年98歳。

<現代物故者事典1994-1996>
<学校法人清水学園「110年の伝統と信頼」>
<墓誌碑など>


しみず とみ

*墓石前面「清水家」。墓石を挟んで右に清水登美の石柱、左に清水とき の石柱が建つ。両方の石柱の上部には「衣は人なり」と刻む。右の石柱の前面「社会服染教育に一生を捧げた 清水 登美 造一」。右面「正六位 勲五等 清水登美」と夫の造一(M20-S30)の俗名と生没年月日が刻む。裏面には登美と造一の簡略歴が刻む。

*夫の清水造一は「岐阜県出身。大正四年、大垣市竹島町本陣に日本に於いて初めての児童教育の場『大垣幼稚園』を開設。大垣市長後援のもと園長として教育に当たる」と刻む。なお、井上造一は登美と結婚し婿養子となり清水姓となった。そして上京することになったため、大垣幼稚園は閉園せざるを得ない状況になった。そのため大垣市長の三原範冶が園主として、私立大垣幼稚園のままで存続させながら市立幼稚園に移行させる予定で準備していたが、真宗大谷派大垣別院が大垣幼稚園を受け継ぐことが決まり経営が移管されている。

*左の石柱の前面「喜びも悲しみも きもの とともに 清水とき(都岐子)」(※喜→七が三つ)。左面は「勲四等 清水とき 大正拾参年八月十日生」と刻む。裏面に略歴が刻む。


清水とき しみず とき
 1924.8.10(大正13)〜 ご健在 
昭和・平成・令和期の着物デザイナー、教育者
 岐阜県出身。本名は都岐子。大垣幼稚園長の井上造一(清水造一)、洋裁教育の草分け清水登美の長女。
 日本女子大学卒業。東京服装学園を経営していた母に反抗して着物教室をひらく。'52「清水とききものクリエイトセンター」を開設。以降、着物文化の創造、教育に尽くした。
 後に母の「東京服装学園」を継ぎ、さらに和裁、きもの界に進出。きものデザイナーとして染色にも携わり、三越はじめ有名百貨店の顧問デザイナーとして活躍し、数多くの創作きものをショーなどで発表。戦後の日本きもの界をリードする。
 '65 ニューヨークを皮切りに毎年国際ショウを開催(ハワイ、ロンドン、パリ、ローマ、ロッテルダム、モントリオール、モスクワ、香港、北京、ソウル)。'66 モントリオール万国博日本館に清水とき新作デザインのきものを発表・展示。
 '67 学校法人「清水学園」設立し理事長。清水学園は、その誇りと伝統の上に立って、きものを愛する人たちに、きものでプロを目指す人たちに、きものを仕立てる、染める、着るといった技術はもとより、きものの持つ内面の奥深さや、染織の美しさ、デザイン、マナー、長いきものの歴史と変遷、そしてこれからのきもの、世界に誇れる日本の伝統文化である「きもの」のあり方を、一貫した教育システムで指導している。「きものを総合的に学べる学校」全国横断「明治百年きものショー」展開。'68 文部省認定通信教育「現代きもの講座」を開始し、演劇やテレビ、雑誌で衣裳監修も行う。
 '70 大阪万国博覧会繊維館にて半年間に渡る「シルクショー」の総合プロデュース。'72 日本の美シリーズとして毎年創作発表会を開催。「日本の復活」「日本の色」「日本のかたち」「日本の詩」「日本の祝祭」農林水産省蚕糸業振興審議会委員に就任。'73 沖縄復帰1周年を記念して、沖縄ほか日本各地にて「ザ、沖縄」ショーを開催。 繊維工芸部新設。'74 財団法人日本きもの文化協会、文部大臣認可され、会長に就任。
 '76 専修学校令により「清水学園専門学校」に昇格。専門学校清水とき・きものアカデミア学長を務める。'77 清水とききもの道25年を記念し、帝国劇場においてメモリアルショー“幻と現”上演。'78 大日本蚕糸会総裁高松宮殿下より、「蚕糸功績賞」を受賞。'79 全日本きもの振興会参与として、米沢から沖縄まで、日本各地の産地織物新作品をデザイン、毎年発表。'82 「十三参りを普及する会」会長として小振袖普及活動。“ひとりだち”のきものショー開催。
 '84 東京都知事より教育功労賞を受賞。'88 藍綬褒章。'90(H2)労働大臣表彰。'93 清水とき記念館「和文化衣装館」を現在地に10階建て竣工・開館し、館長に就任。「第1回和文化衣装展」を開催。常陸宮華子妃殿下テープカットに御臨席。'94 通商産業大臣表彰。同年、母で創設者の清水登美が死去。'96 勲4等瑞寶章。2000 文部科学大臣表彰。2002 外務大臣感謝状。
 その他、(一財)国際文化きもの学会理事長、とき・きものクリエイトセンター所長、「現代の名工」「東京都江戸の名工」選定委員、農水省・農畜産業振興事業団審議委員、厚生労働省和裁技能国家検定委員、(一社)全日本きもの振興会理事、(一社)全日本着付け技能センター理事長、(一財)文部科学省社会通信教育協会副会長、(一財)渋谷区美術振興財団評議員ほか多数の要職を務める。
 主な著書に『伝統を着る』『礼装きもののルール』『きもの美学 染と織と歳時記と』『きものなんでも百科 〜美しく装う〜』『清水ときの帯結び100選』『きものに生きる 九十歳で現役!清水ときの教え』『きもの母さん 今あなたに伝えたいこと』など多数。2013 清水学園100周年記念式典をホテルニューオータニで開催。

<講談社日本人名大辞典>
<専門学校清水とき・きものアカデミア 沿革一覧>
<著者略歴など>


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