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せき はたす

関 毅

せき はたす

1886(明治19)〜 1939.11.3(昭和14)

明治・大正・昭和期の土木技師

埋葬場所: 6区 1種 13側

 栃木県出身。1910(M43)東京帝国大学土木工学科卒業。同級生に台湾総督府で都市基盤整備に従事し、1930(S5)烏山頭(うさんとう)ダムと総延長1万6000キロに及ぶ用水路「嘉南大●(土へんに川)」(かなんたいしゅう)を指揮した八田與一技師がいる。八田とは生涯を通じて親友であり、烏山頭ダム設計の相談などにも乗っている。
 大学卒業後、浅野総一郎が創設した東亜建設工業の前身である鶴見埋築(株)に入社。京浜工業地帯の埋立を指揮し基盤をつくる。また、東京湾埋立専務取締役として東京湾の埋立でも尽力した。専務取締役の現職のまま逝去。享年53歳。
 訃報を知った八田與一は、'39.11月と12月の2度、関の妻や孫を気遣った手紙を送っている。2013.5.8(H25)関家から烏山頭ダムを管理する嘉南農田水利会に、八田與一の直筆の手紙が寄贈されることになり、贈呈式が執り行われた。 台湾には八田技師の遺品は少なく、水利会では展示を検討してる。なお、余談であるが、八田與一は関が亡くなった3年後に亡くなっており、二人とも短命であった。

<日本と台湾の架け橋 公益財団法人交流協会「お知らせ」より>


*墓石正面は「関 毅 妻 芳子 / 之墓」。戒名は勇心院剛堂良毅居士。


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