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Schiferblatt, Nicora

シフェルブラット,ニコライ

Schiferblatt, Nicora

1887(明治20)〜 1936.10.14(昭和11)

大正・昭和期の音楽家(指揮者、バイオリン)

埋葬場所: 外人墓地区 1種 2側

 ロシアのヴィルナ出身のロシア人。1906(M39)チフリス音楽学校を卒業したのちにドイツに留学し、帰国後ハンガリー出身のバイオリン演奏家アウエルに師事した。 1925(T14)春に行われた日露交歓音楽祭に参加するため来日し、第一バイオリン首席奏者として活躍した。帰国後モスクワ交響楽団の独奏者兼主席バイオリニストとして演奏活動を行った。 1929(S4)8月新交響楽団の指揮者として招かれ来日。先任のJ.ケーニッヒの跡を継ぎJOAK専属指揮者として大いに才能を発揮し、わが国の音楽界に刺激を与えた。東京で病を得て死去。

<来日西洋人名事典・増補改訂普及版>
<MATSU様より情報提供>


*墓石前面には十字架を刻み「NICOLI SHIFERBLATT」「ニコライ シフェルブラット之墓」と刻む。裏面は略歴が刻む。 「1887年ヴィルナに生まれる。1906年チフリス音楽学校卒業後、独逸遊学。帰国後、アウエルに就き人に頴才を顕ばす。1915年管弦楽主席として、来朝し日本楽壇を感激ししも、再度来朝ケーニヒの後を継ぎ、JOAK専属指揮者となり、異常の熱意を以って我楽壇を指導されしも、1956年10月14日喘息のため急逝さる。」


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