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さわい よういち

澤井要一

さわい よういち

1866(慶応2.5.25)〜 1934.6.7(昭和9)

明治・大正・昭和期のドイツ語学者

埋葬場所: 23区 1種 42側

 東京神田小川町出身。宍戸鎰の長男として生まれる。宍戸家は徳川直系の一橋家に仕える旗本の家柄で、父は将軍に漢学、蘭学を進講する学者だった。
 1877(M10)東京帝国大学医学部に入学、1879東京外国語学校独語科に転学し、本格的にドイツ語学を修め、1883 卒業。更に専修大学に入り法律経済学を修め、1885 学習院助教授となった後、司法省に勤務。1887 澤井よしの養子となり姓を澤井と改めた。
 1889 陸軍教授 兼 学習院教授に任じ、第六高等学校教授に転じ、1906ドイツ語研究のためドイツへの留学を命ぜられた。'08 帰国後、'11 第八高等学校教授に任じ勅任教授に着任。また兼務した陸軍教授として砲工学校に約13年間勤めた。
 ドイツ語に関する著書が多くあり、『独逸行政法論』(マイヤー・翻訳・1887)、『高等受験用 独作と和独要後語』(1929)、『なくてはならぬ 独和動詞辞典』(1931)、『和独辞典』(辻善定と共編・1935)がある。
 正3位 勲3等。享年68歳。没後に、上村直己により『ドイツ語学者 沢井要一略伝』が刊行されている。

<人事興信録>
<「日本の英語辞書と編纂者」(英語辞書編纂と係わった人々の経歴)早川勇>


墓所

*墓所は正面「浅香院殿諦圓直良日意居士 / 智徳院殿妙貞勝日倢大姉」と刻む浅香家10代目夫婦の墓石が建つ。それに並んで左側に和型で前面「従三位勲三等澤井要一之墓」と刻む澤井要一の墓石が建つ。裏面は裏面「昭和九年七月吉日建之 施主 澤井錦」、右面「昭和九年六月七日逝去 / 大學院殿高徳善教日要居士 / 大法院殿妙香貞要日錦大姉」、左面「永代祠掌科 一金参百圓也 昭和九年八月六日」などが刻む。墓所右側に「浅香家先祖代々之諸精霊」の墓誌が建つ。

*澤井要一の妻は錦(きん)。錦は静岡県出身で、旧姓は浅香。墓所内に建つ浅香家10代目の墓は父親ではないかと推測する。要一と錦との間に2男2女を儲け、長男は澤井維一(歯科医学者)、二女は兵庫県の医師の小澤清躬に嫁いだ。二男の十六(1903.12-1928.6.4)が東京帝国大学法学部在学中に母方の浅香家の養子となり、浅香家十一代目となるが、26歳の若さで亡くなった。墓誌は、11代 浅香十六から刻み、12代 浅香四良(S32.10.7歿・43才)、浅香佐智子(H26.9.4歿・95才)が刻む。


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