歴史が眠る多磨霊園 |
メイン » 著名人リスト » さ行 » 佐藤虎次郎 |
佐藤虎次郎 | |
さとう とらじろう | |
1864(元治1)〜 1928.9.6(昭和3) | |
明治・大正期の海外雄飛、代議士 | |
埋葬場所: 6区 1種 5側 27番 | |
埼玉県出身。旧姓は茂木。庄屋を営む茂木太平の三男。横浜の実業家の原善三郎の商店に住み込み、修業をしながら商法と英語を学ぶ。1885(M18)渡米しミシガン大学を卒業。 91古座川町高池の佐藤おくと結婚、豪家の佐藤長右衛門の養子になり、93オーストラリアに渡る。 木曜島周辺のアラフラ海域では、当時すでに真珠採集事業がさかんで、外国人請負業者の雇い入れ水夫として、多くの和歌山県人を含む日本人が働いていたが、佐藤はこの事業の有望なのに目をつけ、自ら紀南の若者を誘って大々的に事業を展開、一時は2000人近く雇用して「木曜島のキング」といわれた。その後、紀南沿岸各地の人々も同様の請負事業に乗り出し、アラフラ海はますます活況を呈することになった。 1901移民制限法が制定されたため、やむなく帰国。埼玉県選出の衆議院議員となり、「横浜新聞」を発刊、貿易振興と日本の海外発展の必要性を説いた。 1910朝鮮半島に渡り農林業を経営。1926(T15)4月、朝鮮京城で李王が亡くなり、弔問に出かけた帰路に、30歳の朝鮮人に金虎門前で襲撃された。 当時の朝鮮総督であった斎藤實(7-1-2-16)と間違えられて、車に乗っているところを凶刃に倒れた。一命は取り留めたものの、この時の傷跡に病菌が入っていたため健康がすぐれず二年後、京城で逝去した。 <コンサイス日本人名事典>
<佐藤虎次郎の曾孫にあたる佐藤正様より情報提供> | |
関連リンク:
|
| メイン | 著名人リスト・さ行 | 区別リスト | |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。 |