<詳しいことは調査中・どなたかご存知の方はお知らせください> 東京帝国大学法科卒業。大学の助手を経て、帝国競馬協会に入る。欧州に3年間留学後、日本競馬会創設に伴い移り、企画課長となる。現在の中央競馬の競馬施行規程の基礎をつくった。わが国の近代競馬の創設者の一人。 英国留学中に書いた報告書を、後に「ヨーロッパにおける競馬事業序説」として二冊出版した。 雑誌『優駿』に’40東京競馬場で馬主会会員に対して行った講演をまとめた「軽種馬生産の問題と番組編成の意部門について」を掲載。同じく『優駿』に’42競馬法実施二十周年3月号に「競馬施行の基礎理念」を掲載。 戦後、馬事公苑にて、有志を集めニューマーケット・ルール(英国競馬施行規定)の講義をした。戦前戦後の日本競馬界の大家として土台を構築した。元本会理事。勲5等。 東京慶応病院で脳出血のため死去。享年69歳。二日後の12月27日に東京競馬場で葬儀を行った。
<中央競馬年鑑、優駿など>