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さとう まさゆき

佐藤正之

さとう まさゆき

?〜 1929(昭和4)

明治・大正期の中央大学理事、中央大学中興の祖

埋葬場所: 19区 1種 12側

 岩手県水澤町(水沢市)出身。英吉利法律学校(後の中央大学)卒業。卒業生として初めて同校の経営に携わる。
 英吉利法律学校は、1885増島六一郎らにより英米法を基にする法体系構築を目指して開校。当時の校舎は東京府神田区錦町。当時の日本には民法がなく、法整備と法曹の育成が図られていた。同時期に開校した東京専門学校(早稲田大学)、東京法学校(法政大学)、専修学校(専修大学)、明治法律学校(明治大学)を五大法律学校という。
 英吉利法律学校は事業拡張のため、名称を東京法学院、東京法学院大学、中央大学と変えていくが、佐藤は東京法学院時代から同校の経営に腐心し、財政難に陥ると、自ら私財を投げ打って学校を支えた功労者である。 1903(M36)幹事に就任。'05名称を中央大学に改称。名称の由来は日本学術の中枢となる意と、創立者の増島らが留学し、自由主義と英米法を学んだ英国ミドルテンプルを重ね合わせたとされる。
 以後、在勤40数年、中央大学の基礎を固め、最後は中央大学名誉理事となった。中央大学の危機的状況を支え、日本の法曹界を支える人材育成の環境整備、学校経営に尽力。現在(2012年現在)の日本の法曹人口の約5分の1、弁護士の約4分の1が中央大学出身者である。

<中央大学創立125周年記念サイトなど>


墓所

*墓所正面に「中央大学名誉理事 佐藤正之先生墓」。右側に「佐藤正之先生第十三回忌追憶碑」が建つ。戒名は精徳院初亭正之居士。 墓所右手側に和型「高橋家之墓」、左に高橋家の墓誌が建つ。同墓に眠る高橋輝義(1938-2008.10.24)は中央大学理事・事務局長を歴任、大学人事研究会(人事・組織合同研究会)で座長などを務めた人物である。

*佐藤正之の息子の佐藤佐一郎は、弁護士であり、中央大学教授を務めた人物。娘の百合子(-2012.1.14)が高橋輝義に嫁ぎ、墓所を継承したと推測する。


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