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さたけ じろう

佐竹次郎

さたけ じろう

1896.7(明治29)〜 1959.10.21(昭和34)

昭和期の実業家

埋葬場所: 16区 1種 12側

 山梨県出身。旧制第4高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。南満州鉄道、南朝鮮鉄道に勤務。のち木曾川水電取締役となる。戦後は富国生命保険社長を務めた。
 '53(S28)昭和電工社長の日野原節三が引き起こした「昭和電工事件(昭電疑獄)」で傾いた会社を再建するために、第5代 昭和電工社長に迎えられる。 石川一郎会長、安西正夫(後に6代目社長)専務らとともに昭電疑獄事件で荒廃した同社の再建をはかった。'58会長。享年63歳。

<講談社日本人名大辞典など>


*墓石には十字が刻み「佐竹家之墓」。墓誌があり、名前、没年月日、享年が刻む。妻は寿枝(1978.8.4歿 76歳)。


【昭和電工事件(昭電疑獄)】
 1948(S23)昭和電工事件(昭電疑獄)が発覚。この事件は復興資金として復興金融金庫からの融資を得るために、大手化学工業会社・昭和電工の日野原節三社長が行った政府高官や政府金融機関幹部に対する贈収賄事件。
 肥料工場拡充のため23億円余の復金融資を受けた際に、日野原節三社長が政・官・財界に膨大な運動費をばらまいた。これが衆議院で昭和電工の復金融資を巡る贈収賄が問題化した。 日野原社長逮捕を皮切りに、後の総理大臣となる当時の大蔵主計局長であった福田赳夫、大野伴睦民自党顧問、栗栖赳夫経済安定本部総務長官、西尾末広前副総理(社会党書記長)が相次いで逮捕され、当時の芦田均内閣は総辞職に追い込まれた。その後、芦田自身も逮捕されたが、裁判では日野原社長と栗栖以外の政治家は無罪となった。


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