メイン » » » 佐々木義彦
ささき よしひこ

佐々木義彦

ささき よしひこ

1887.8.8(明治20)〜 1975.2.8(昭和50)

明治・大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 14区 1種 2側

 山口県阿武郡椿郷東分村後小畑(萩市椿東)出身。佐々木義一の長男として生まれる。萩中学校を経て、1908(M41)神戸高等商業学校(神戸大学)卒業。
 台湾銀行に入り、香港支店、ロンドン支店長を務め、'23(T12)鈴木合名会社の理事に就任し、鈴木商店の整理にあたる。鈴木破綻後、帝国人絹、日本製粉、神戸製鋼などの重役に就任したが、高畑誠一が日商の設立に奔走しているのを知り台湾銀行との調整を主に側面から協力した。後に日商監査役に就任した。'47(S22)帝国繊維社長。'50東邦レーヨンの社長、'61会長。
 戦前、戦後を通じ、わが国の産業経済の発展に尽力し、'65 勲3等旭日中綬章を受章。郷里の萩の小学校や高校の施設整備や、小畑地区の灌漑用水と公会堂の整備、教育の充実や福祉の増進に対して、多額の寄付をし大いに貢献した。'72萩市名誉市民に推挙された。享年87歳。

<講談社日本人名大辞典>
<萩 博物館:萩の人物データベース>


墓所 レリーフ

*墓石は和型「佐々木家墓」。墓石の右隣りに佐々木義彦の顔のレリーフがある墓誌碑が建つ。墓所右側に墓誌が建ち、俗名。没年月日が刻む。妻は貞子。

*後小畑の生家にあった胸像は、萩市江向の中央公園内に移築されている。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・さ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。