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さむかわ つねさだ

寒川恒貞

さむかわ つねさだ

1875.6.26(明治8)〜 1945.1.30(昭和20)

明治・大正・昭和期の実業家(電気)

埋葬場所: 15区 1種 10側

 香川県出身。幼名安太郎。1902(M35)京都帝国大学理工科大学電気工学科卒業。続いて蓄電池研究のため大学院に進んだが翌年退学。技術者として十数年間は主に水力開発事業を幾つか手がけた。 1907箱根−横浜間送電線に本邦最初の鉄塔を案出した。1910四国水力電気の創立に参画し監査役兼顧問、1913(T2)名古屋電燈顧問に各就任。 1918東海電極を設立し社長に就任〔1941(S16)会長に就任〕、1934(S9)世界最大十八インチ人造黒鉛電極を完成させた。 そのほか電気製鋼所、日本アルミニウムの設立に参画した。また1925(T14)逓信大臣より電気功労者として表彰された。 享年69歳。長男の寒川恒一郎(1905-1961.8.26 同墓)は東海電極社長を務めた。

<日本人名大事典(現代)371頁>
<五輪塔様より情報提供>


 


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