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さくらい さぶろう

桜井三郎

さくらい さぶろう

1899.12.6(明治32)〜 1960.4.8(昭和35)

大正・昭和期の内務官僚、熊本県知事

埋葬場所: 12区 1種 25側

 新潟県西蒲原郡地蔵堂町出身。旧漢字表記は櫻井三郎。桜井栄七の長男として生まれる。
 1926(T15)京都帝国大学法学部法律科を卒業、内務省に入省し、東京府属となる。'28(S3)岩手県警察部保安課長に就任。 北海道庁警察課長、宮城県農務課長、警察講習所教授、島根県警察部長、警視庁消防部長を経て、'41伊太利駐在内務事務官兼外務事務官となりローマに駐在して米、仏、独等各国を視察。 翌年7月には徳島県総務部長兼学務部長へと進み、以後、東京都民政局に勤務し財政課長、福岡県内政兼警察各部長、地方総監貯参事官、関東信越地方総監府主幹兼第一部長、同行政事務局次長を歴任した。
 '46.7.9〜'47.3.12(S21〜S22)第34代 熊本県知事に就任した。この知事就任は官選知事としてである。戦後すぐのこの時期は、地方制度の転換時期であった。 わが国における民事主義的傾向の復活強化をうたったポツダム宣言の受諾によって、国政全般にわたり民主的改革の手続きが進められるにともない、知事公選の断行を中心として、地方制度の改革についてもその気運が醸成されるにいたった。 すでに'27(S2)3月には労働組合法や農地調整法が制定施行され、'46(S21)10月には地方生活保護法および民生委員令が施行、民主化への基盤づくりが進められた。 そのため、桜井は'47.4に実施される知事公選選挙実施に伴い立候補のためその職を退いた。この間の3.12〜4.12の1ヶ月間は熊本県最後の官選知事の鈴木直人が中継ぎをした。
 同年4月実施された知事公選選挙で当選し、第34代、熊本県最初の公選知事に就任。 以後、第4回知事選挙で自由民主党の寺本広作に破れるまで、当選3回〔在任期間:1947.4.16〜1959.2.10〕、官選知事時代を含め約13年間の長期にわたって重任した。 '59知事選で破れた後は、衆議院議員に選出されたが、翌年に逝去した。正3位 勲2等。享年60歳。

<日本歴代知事総覧など>
<墓誌より>


*墓石は洋型「櫻井家」。墓誌には桜井三郎、妻のトキ、長男の祐一のそれぞれの簡略歴が刻む。戒名は淳心院殿清林雄道大居士。妻のトキは2009.2.19の没し享年103歳の大往生。


桜井祐一 さくらい ゆういち
1928.9.28(昭和3)〜2001.2.8(平成13)
昭和・平成期の銀行家
 新潟県西蒲原郡三條町出身。父は熊本県知事を務めた桜井三郎・トキの長男。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。 三菱銀行に入行。熊本支店長、笹塚支店長を歴任した。享年72歳。戒名は総見院釋祐鑑。

<墓誌より>


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