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さかい とよきち

境 豊吉

さかい とよきち

1864(元治1.3)〜 1948.4.6(昭和23)

明治・大正・昭和期の弁護士、実業家

埋葬場所: 22区 1種 3側

 福岡出身。福岡県士族の境善次(同墓)の二男として生まれる。父は境一郞(同墓)。旧漢字は豐吉。
 法政大学卒業後、弁護士となる。1892(M25)有限責任日本製粉会社は軍納品の競争入札制度開始により業績不振となり経営を、第四十国立銀行頭取の南条新六郎と境豊吉へ譲渡された。1893 有限責任日本製粉会社を解散させ、南条と境らで東京製粉合資会社を創立。この会社は日清戦争特需で業績急成長し、1896.12.31 資産を継承し日本製粉株式会社への設立となる。
 その後、弁護士をしながら前掲会社の重役も務める。他にも日本畜産株式会社取締役、東京イーシー工業監査役、東山農事監査役、鎌倉海浜ホテル監査役、栗原米殻株式会社監査役などを務めた。

<人事興信録など>


*墓石は和型「境家累代之墓」、左側に墓誌が建つ。境豊吉の妻は照(M6.5-S26.11.8)。照は鹿児島県出身の田實胤信の二女。8男3女を儲ける。長男は境一郞(M27.8-S51.6.19:フランシスコザビエル:同墓)、一郎の妻は もゝえ(M33,6-H2.9.3:モニカ:同墓)。もゝえ は福岡県出身で野田貞の長女。その他、3男の境宏(M36.7-H3.5.24)が同墓に眠っている。また同墓には孫の境直哉(ヨアキム)は実業家(第一企画)として活躍した。境直哉の妻は由紀子(R1.12.14歿:アンナ)。


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