≪詳しい略歴は調査中。どなたかご存知の方はご一報ください≫
山形県出身。東京帝国大学医学部卒業。医学博士。同郷のアララギの歌人で精神科医の斎藤茂吉と友人。
1913(T2)東洋毛様線虫を発見発表した。東京大学内科教室においてアンチホノレミンとエーテルを用いる独自の集卵法により入院患者、病院使役人および院外者146名を調べて、十二指腸虫卵と誤られつつある1種の寄生虫卵を49名 (33.6%)から検出して、その形状を記載した。引き続き、13屍体の主として十二指腸内容物を調べて19隻 (その内の16名が女性)の成虫を採集してその形態を詳細に観察。人間への寄生虫である東洋毛様線虫として発表した。
芥川龍之介 著の『病中雑記』によると、芥川龍之介の神経衰弱から来る不眠症を対応していた齋藤茂吉の紹介で、神保孝太郎は芥川龍之介の診察をした。診察内容は神経衰弱、胃酸過多症、胃アトニー等の診断を下し、「この分にては四十以上になると、とりかへしのつかぬ大病になるよし」と申し渡したそうだ。
斎藤茂吉 著の『島木赤彦臨終記』によると神保孝太郎は胃腸病院の内科医として、斎藤茂吉の診察をしたとされる。
*墓石は和型「神保家之墓」。裏面に「昭和十四年三月 神保かよ建立」と刻む。右側に墓誌。戒名は博綜院釋光慈居士。妻は かよ。左側に斎藤茂吉が神保孝太郎にあてた歌碑が建つ。
『神保博士墓前 ゆく春の ひとりの夕べ いそぎ来て 君がおくつきを われ去りあへず 茂吉』「昭和十四年、この墓完成の後、おなじ山形県出身にして故 神保孝太郎の大学生当時よりの親友、アララギ派歌人 斎藤茂吉氏一人来られて、詠まれしもの。神保孝太郎の妻かよの遺志を継ぎ、神保喜音子、この歌碑を建つ。平成十二年十月吉日」と刻む。
*歌碑建之者の神保喜音子(1927〜)は仁科美紀(にしな みき)というペンネームで活動している小説家。東京本郷出身。桜蔭高女卒業。専門学校1年中退。
1960(S35)処女作『針の館』(長篇サスペンスの恋愛小説)を光文社カッパノベルス版で出版。当時のペンネームは仁科東子。その後、同小説のテレビ化「渦紋」のシナリオを書き、大阪の朝日放送で放映。
'79(S54)18年をかけた1500枚の長篇小説『青春高原』を白玉書房より自費で出版。この時、ペンネームより仁科美紀と変える。その後、シナリオや小説の勉強をし直して、横浜朝日カルチャーセンターの「小説久保田教室」に在籍したこともある。主な著書に『三つの歌』『幸せへの道―主婦霊媒ゆりの生涯』『癒しの庭』など。
*斎藤茂吉の墓所は青山霊園1イ2-13/15で、宝泉寺にも分骨されている。