京都出身。本名は鈴木昌行。4代続く俳人の家系で、15歳から短詩を学ぶ。碧梧桐門。
短詩形文芸誌「青い地球」「獏」で数多くの作品を発表。これらの作品集を引っ提げて全国を自転車で行脚した。1995(H7)短詩人連盟を設立。「ポエムは天に書く落書き」「ポエムは花火」「ひらがな一つ一つが役者」をモットーに短詩朗読会、句会、展覧会を全国で展開した。
短詩とは俳句、川柳、短歌の総称として使っている。短詩について「・・・5・7・5であればその後に5字。言おうと思えばどうとでも言えるが、しゃべりすぎ。あとはご自由に」「最初から五七五に当てはめようとするのは、元々ある絵に色を塗っているだけのようなもの。五七五になって『落ち着いた』なんて言っているが、安心の中にポエムはない。ポエムは冒険を意味する。心臓は常に新しい血を作り出してる。それと同じ考え方」と述べている。また「散文は一般的にわかりやすいけれど、本当に叫びたいことは消えてなくなっちゃうところがある」と述べており、散文では説明できない世界を表現したリトル・ポエムの世界と表現している。
「ポエム×音楽」の合奏なども手掛け、晩年は小金井市民文化祭で「来空×尺八」の合奏を発表。主な作品集に『少年期』『旗の中の旗』『しなたりくぼめ』など多数あり、'94「来空作品集 短詩五十年」(青ひげ企画)を刊行。評論集『日本詩歌のリズム』『詩をかきはじめた君への手紙 -短詩入門-』『飛翔せよ短詩仲間達』『西垣卍禅子論』『甦える碧梧桐』『甦れ!言霊』『空(そら)来たよ』『日本短詩 言霊論』など多数ある。2011.2『河東碧梧桐全集』全20巻を10年以上の歳月をかけて完成させた。
死に対しての短詩「みんな喜ぶ 遠足が来た 死が来た」を発表したこともあり、また最後の言葉は「死ぬことも輝き。ばんざーい、ばんざーい」であった。家族全員に身守られた翌日に永眠。享年88歳。
<「前頭芋」詩人・来空(らいくう)による、リトル・ポエムの世界> <来空の次女の古田ひづる様より情報提供>
*妻の國分ひろみ(1947.1.11-)は、國分絮虹(こくぶん じょこう)の雅号で国際的に活動している書家。書を、藤澤絮秋・岡本雅堂に学ぶ。特に河東碧梧桐の書に刺激を受け、宗教学者・歌人・会津八一研究者の植田重雄に短歌を師事。その後、夫となる来空に短詩を師事した。詩号は桂久爾(かつら くに)。
第505回 革命的な短詩人 「しあわせ 来空 最中」 来空 お墓ツアー
|