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にった よしお

新田義雄

にった よしお

1879.3.25(明治12)〜 1970.9.23(昭和45)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(少将)

埋葬場所: 13区 1種 15側

 山形県出身。1903.4.27(M36)海軍機関学校(11期)卒業し、海軍少機関士候補生として須磨乗組。同.9.8 八雲乗組。同.12.28 海軍少機関士に任官。
 '04.9.10 香港丸乗組。'05.1.12 海軍中機関士に進み、同.8.5 横須賀水雷団附となる。同.11.4 朧乗組。'06.1.26 海軍機関中尉に進級し、同.7.12 春日分隊長心得を経て、同.12.5 水雷術練習所学生として学ぶ。'07.3.29 常磐分隊長心得を経て、同.9.28 海軍機関大尉に昇進し、常磐分隊長に就任。'08.1.16 八重山分隊長、同.11.20 宗谷分隊長、'10.7.25 機関校監事 兼 教官を務めた。
 '13.11.15(T2)津軽分隊長となり、同.12.1 海軍機関少佐に進級し、'14.7.18 艦政本部(一部)に出仕し、造兵監督官。'15.10.1 技術本部(三部)を歴任し、'16.12.1 磐手機関長に着任した。'17.12.1 海軍機関中佐に進む。'18.11.10 横須賀鎮守府付、'19.9.15 艦政局局員(六課)、'20.10.1 軍需局局員(三課)を務め、'21.12.1 海軍機関大佐となって横須賀鎮守府付(軍需局)に補され、'22.12.1 第5戦隊機関長に就任。
 '23.11.20 呉工廠総務部部員 兼 造機部検査官、'24.12.1 第2艦隊機関長、'25.4.15 佐世保軍需部長に着いた。'26.5.20 海軍大学教官、同.12.1 海軍少将に昇格。'27.12.1(S2)軍令部出仕、同.12.15 待命、同.12.25 予備役に編入した。'37.3.25 後備役となったが、'41.4.1 太平洋戦争勃発半年前に予備役になるも、'42.3.25 退役した。享年91歳。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧など>


墓所

*墓石前面「新田家之墓」。左側に墓誌が建つ。「義雄」と刻み、没年月日と永眠九十一才と刻む。


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