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なす すけおき

那須資興

なす すけおき

?〜 1870(明治3.7.8)

幕末・明治期の旗本、官職

埋葬場所: 12区 1種 7側

 那須氏は藤原道長の孫通家の子、貞信を祖とし、下野国那須郡(栃木県)に勢力を張った豪族の子孫。有名な子孫に那須與一(与一)がいる。与一は、源氏と平家の「屋島の戦い」にて、平家が立てた扇の的を見事射落としたことで有名な源氏方の武士。
 父は丹後国宮津藩第6代藩主の本荘宗秀(松平宗秀)の4男として生まれる。江戸時代後期から末期にかけての旗本・歌人、那須氏28代当主の9代当主の那須資礼(なす すけひろ)は、津軽直記順朝の娘を養女とし、養子に資興を迎え、家督を譲る。これにより寄合旗本・那須家10代当主となる。維新後は集議少主典の官職を務めた。
 資興は津軽順朝の娘を室として、後に那須家11代当主となるのが長男の那須資穀(なすすけよし)。二男が次郎(同墓)である。


*墓石は和型に十字架が刻み「那須家之墓」。右側に墓誌が建つ。墓誌の初めに「那須與市資興 明治三年七月八日 行年三十三歳」と刻む。次に、那須次郎(S11.10.27歿・行年67歳)が続く。

※兄の那須資穀の墓は谷中墓地(乙8号3側)にある。那須資興が没した年に多磨霊園も谷中霊園もまだ誕生していないため、正墓はどこかにあると思われる。もしくは改葬された場合は当主の兄の墓の可能性が高い。ただ、弟の次郎のここの墓の墓誌に父の那須資興の刻みがあるため、同墓にも祭られているため、そして歴史を学ぶことをコンセプトにしている当HPであるため掲載をする。


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