メイン » » » 中山佐市
なかやま さいち

中山佐市

なかやま さいち

1864(元治1.9)〜 1943(昭和18)

明治・大正・昭和期の銀行家、
政治家、財界人

埋葬場所: 26区 1種 16側

 千葉県出身。中山三九郎の次男。1900(M33)分家。千葉中学校を卒業し上京して、同郷の先輩である成川尚廣を訪ね居候をさせてもらいながら英吉利法律学校(中央大学)で法学を学び卒業。大蔵省に入省。法学博士の田尻稲次郎に認められ、鉄道局書記長に任ぜられた。
 1896(M29)東京府農工銀行創立の際の支配人に招聘され、後に東京農工銀行頭取に就任した。1908『銀行解説』を刊行。地方生産業の振興に資せんとする北海道を除く全府県に一行ずる設立された各地方の農工銀行はいずれも失敗していく中で、中山の東京農工銀行のみは好成績を挙げた。中山の積極主義の勝利の一面、着実穏健の営業振り、また辛辣な商才、投機界の機微を洞察は模範とされ、「中山節」「農工節」といわれ銀行界の奇傑と称された。
 並行して諸銀行や台湾炭鉱取締役などの会社の重役を務め中央の財界に重きをなした。1920.5.10(T9)千葉市より推されて、衆議院議員選挙に千葉県1区で立憲政友会から出馬し当選。1期務めた。資産家でもある。

<人事興信録>
<財界一百人>


墓所

*墓石は洋型「中山家」。裏面に「昭和三十七年十二月 中山達男 建之」と刻む。右側に墓誌があり、俗名と生没年のみ刻む。妻は けい(墓石には慶子:1878-1952 前田謙斎の次女)。正秋(1912-1944)佐市の四男で慶応大学卒業し大日本電力勤務。達男(1902-2007)佐市の長男。達男の妻は雪子(相馬久吉の四女)が眠る。左側に「安井/代々木 家 先祖代々之墓」と刻む石柱が建つ。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・な | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。