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なかつかさ ぶんじろう

中司文次郎

なかつかさ ぶんじろう

1869(明治2.11.5)〜 1951.12.30(昭和26)

明治・大正・昭和期の実業家、銀行家

埋葬場所: 15区 1種 4側 20番

 高知県長岡郡上倉村(南国市)出身。白木谷95番屋敷、助作・良の二男に生まれた。
 法政大学を卒業し日本銀行に勤務。のち実業家となり金沢市で金沢倉庫(株)社長。 その後、沼津毛織物(株)代表取締役、山陽電気軌道(株)、上毛モスリン(株)、日本製粉(株)の各取締役、加州銀行専務取締役、加賀製紙(株)、金沢紡績(株)監査役、今里土地(株)取締役などを歴任。金沢市で病没。享年82歳。

<高知県人名事典>


墓所

*墓石は和型「中司家奥津城」、裏面「平成十六年十月吉日 祭主 中司和雄 建立」。右側に墓誌が建つ。墓誌は中司文次郎から刻みが始まる。「中司文次郎大人命」と刻む。妻は捨(M11.1-S33.1.26・行年80才)、長男の中司文夫(M34.2-S50.7.8・行年74才:三井信託会社員)、文敏(T15.10.5・行年23才)。孫の和雄(R3.12.22・行年91)が刻む。墓誌に刻まれていないが、中司文夫の妻は由江(M41.1生)。由江は化学者の辻本満丸の二女。

*中司文次郎は没後、長男の文夫(同墓)によって遺骨は出生地である高知県南国市白木谷に埋葬されたが、文次郎自身が生前より多磨霊園を準備しており、また関東地区に居住する子孫による墓守が困難なため、2004(H16)孫の中司和雄が多磨霊園に改葬した。

<お孫様の中司和雄様より情報提供>


※「高知県人名辞典」に中司文次郎の墓が多磨霊園にある旨を知り調査をした。しかし、その墓所地は更地であった。よって歴史が眠る多磨霊園のここのページには墓写真を掲載せずに中司文次郎を紹介していた。2000年頃に、孫の中司和雄様より上記の情報を提供いただきました。2021(R3)中司和雄様が永眠され、この地に眠られております。ご冥福をお祈りいたします。


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