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なかむら こうけい

中村篁渓

なかむら こうけい

1647(正保4)〜 1712(正徳2)

江戸前・中期の儒学者

埋葬場所: 3区 2種 19側 73番

 儒学者中村正勝養軒の子。名は顧言、字は伯行、通称春帆・新八、別号を淡閑子。幼い頃より家学をうけ、ついで林鵞峰について経史をおさめ、とくに史に学に精通した。 1667(寛文7)水戸藩主徳川光圀の招きで彰考館に入って「大日本史」の編纂に当った。91(元禄4)吉弘菊潭に代わって彰考館総裁、在館40年に及んだ。 著書に「義公遺事」「韓客贈酬日記」「中村筆記」「篁渓文集」。大正7年に贈正五位を授けられる。

<コンサイス日本人名事典>
<「東京掃苔録」藤波和子>


*浅草妙経寺墓域より移転。


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