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なかい ふさごろう

中井房五郎

なかい ふさごろう

1877(明治10)〜 1931.10.5(昭和6)

大正・昭和期の手技療法士、健康法自彊術創設者

埋葬場所: 7区 1種 5側

 香川県坂出市出身。治療技師として難病解放に尽力。それを実業家の十文字大元が喜びを社会に還元しようという崇高な考えを提案。房五郎は治療術を、体操化し我国最初の健康体操をつくった。 十文字は三年間、社員にこの体操を実践させたところ、すばらしい効果が現れたので、房五郎は1916(T5)「自彊術」(じきょうじゅつ) と命名して、大々的に普及活動に乗り出した。 拓殖大学、東京大学、早稲田大学、東京市役所を初めとする役所、小、中学校、民間と、全国に普及させて、当時300万人以上の国民が、「自彊術」を実践していた。 自らを彊(つよく)し、病気を治す「自彊術」は三十一の動作からなり、すべてを行うと、体の関節を延べ一万数千回も動かすことになり、全身を動かすことで「体力づくり」「成人病予防」「機能回復」に大きな効果を発揮した。 そのルーツは、日本文化の大半がそうであるように、中国の「按キョウ導引術」も求められている。これは、按摩、指圧、整体術、呼吸法などをとりまぜたような体術だ。 これらの調身法、調息法の意義を解明し、日本風の感覚で31の動作にまとめ、それらの各々を関連づけて連結させたのが自彊術である。単なる体操でもなく、スポーツでもなく、呼吸に合わせて丁寧に体を動かし、自分をいたわる法。 これに「自己調整法」を合わせて行えば、「調身・調息・調心」三調が揃うことになる。その後、「真向法」「肥田式強健術」等々がでくるが、第二次大戦後種々の理由で世に忘れられてしまった。 主な著書は「自彊術の解説と實験談」(T3)、「自彊術」(T5)、「中井道場機関紙」(T14)発行、「自彊術の大意」(S4)。 衰退した「自彊術」は1965(S40)近藤芳朗医学博士の医学的解明と同幸世夫人の技術伝習により再び世の中の視聴を集める。 '74自彊術普及会設立。'87社団法人。

<健康法の大事典(新人物往来社)>
<東洋医学通史:石原保秀(自然社)>
<自彊術療法など>


なかい ふさごろう

*墓石は和型「中井房五郎墓」。裏面に没年月日と行年54歳。戒名は普照院釋慧彊居士。右面は早死した二女と次男の刻み。墓所右側に「中井房五郎先生紀功碑」が建つ。裏面に「昭和十五年十月五日 自彊術同人有志 建之」と刻む。


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