歴史が眠る多磨霊園 |
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中原和郎 | |
なかはら わろう | |
1896.9.14(明治29)〜 1976.1.21(昭和51) | |
大正・昭和期の生理学者、がん研究第一人者 | |
埋葬場所: 改葬→鳥取県西蓮寺 13区 1種 35側 3番 | |
鳥取県羽合町生まれ。父の中原孝太(同墓所)は日本初冷蔵食品事業家。父の冷蔵業の展開にともない米子、神戸を経て東京に転居。私立京華中学卒業後、米国コーネル大学生物学科入学。1918(T7)同校卒。同年ドロシー夫人と結婚。
ニューヨーク・ロックフェラー研究所助手としてがん研究に従事した。'25帰国。伝染病研究所・理化学研究所・癌研究会に勤務。'34(S9)癌研究所病理部長、'48同研究所長、'62国立がんセンター研究所長、'74同総長を務める。
この間、癌研究会賞(S16)、日本農学会賞(S21)、朝日文化賞(S22)、ストックホルム化学会金賞(S37)、日本学士院賞(S40)、ソビエト社会主義共和国連邦医学アカデミーピロゴフメダル賞(S41)、高松宮妃癌研究基金学術賞(S44)を受賞。
日本におけるがん研究、対策の分野に大きな貢献をした。がん毒素「トキソホルモン」説を提唱、抽出に成功され、またがんのエネルギー理論にもとづく「発がん加算説」等の研究業績は臨床医学に大きな功績を残された。
'75「がん毒素及び発がん物質に関する研究」。他にビタミンLを発見するなど、わが国のがん研究の最高権威であり、日本はもとより国際的立場で、がん研究、がん対策の分野に大きな足跡を残した。従三位勲一等瑞宝章を授与された。
'74日本学士院会員。医学博士。 <がん研究振興会「加仁」13号p8-9(1977)>
*墓所には三基墓石が建ち、正面に和郎と妻ドロシーの墓石、左側に父孝太と中原家之墓が並んで建っている。和郎の墓石に刻まれている夫妻の名前は英語であり、「和郎」を「WARO」と刻んでいる。
人名事典には「かずお」と記すものが多いが、「わろう」が正しい名前である。
【中原和郎墓所改葬】 <中村和夫様より情報提供>
*2006年12月現在、中原家之墓のみ多磨霊園に存在しています。中原和郎の墓は上記の通り改葬されています。 | |
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