メイン » » » 内藤熊喜
ないとう くまき

内藤熊喜

ないとう くまき

1881(明治14)〜 1960.7.14(昭和35)

明治・大正・昭和期の電力実業家

埋葬場所: 9区 1種 20側

 熊本県出身。県費留学生として東亜同文書院商務科に留学を命じられ、第一期生として卒業。直ちに同校で教鞭をとった後、2年間ほどは湖南省で中国人相手に教員を勤めた。
 1907(M40)実業界へ転身して東洋製革株式会社に入社するもまもなく独立。羊毛や皮革類の貿易に従事した。 '18(T7)東洋拓殖の満州進出に際して、職歴を買われて東省実業会社専務取締役に就任し、以後は満州において活躍する。 '21病気のため辞職。翌年、東邦電力に調査部長代理として入社、電力マンとして再出発した。 営業部次長や名古屋支店長・常務代理などを経て、'32(S7)日本電力専務取締役に転じるも、'40華北電業株式会社創立とともに副総裁に就任し、自らも北京へ転居した。 中支電業組合の調査団団長を務めるなど、業界における「支那通」として、戦前の華中電力産業の調査と復旧計画に尽力した。享年80歳。

<「支那事変」直後、日本による華中電力産業の調査と復旧計画:金子裕一>


墓所

*墓石は「内藤家之墓」。左側に墓誌。入口の標石に「内藤熊喜墓所」が建つ。戒名は正信院釋歓喜浄楽居士。妻は松寿(S51.10.27没 同墓)。長男は内藤章(H21.12.14没 同墓)。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・な | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。