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ながやま とめお

永山止米郎

ながやま とめお

1882.4(明治15)〜 1940.12.25(昭和15)

明治・大正・昭和期の台湾総督官僚、知事

埋葬場所: 8区 1種 12側

 茨城県出身。父は永山新一、母はやす(共に同墓)。1904(M37)東京帝国大学農科大学実科卒業。'07更に法政大学英法科を卒業した。同年、高等文官試験に合格し、山林局に入局。山林事務官補から山林事務官、鴨緑江採木公司参事を経て営業部長を歴任した後、台湾総督府に転じた。'13台湾総督府官僚として阿里山作業所事務官、営林局事務官、専売局参事を務めた。この間、'20(T9)欧米出張。
 '27.4.22(S2)第6代 新竹州知事に就任(〜'29.4.20)。新竹州(しんちくしゅう)は、かつて台湾の地方行政区分だった五州三庁の一つで、現在の新竹市、桃園市、新竹県と苗栗県を合わせた地域にあたる。'29.4.20第6代 台南州知事に就任(〜'30.5.23)。台南州(臺南州、たいなんしゅう)は、かつて台湾の地方行政区分だった五州三庁の一つで、現在の台南市、嘉義市、嘉義県、雲林県を合わせた地域にあたる。
 退官後は、'30八田與一が尽力したことで有名な台湾で最大規模の農水施設であり、日本統治時代の最重要な水利工事の一つであった嘉南大シュウ(かなんたいしゅう:シュウ=土+川)理事長に就任した。晩年は本土に戻り、京王電気軌道株式会社取締役を務めた。享年58歳。

<人事興信録など>


*墓石正面は「永山家之墓」。裏面は「昭和八年九月建之 永山止米郎」。左面が墓誌となっており、戒名は止説院萬善修徳大居士。妻は千代子。


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