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ながた きくしろう

永田菊四郎

ながた きくしろう

1895.11.29(明治28)〜 1969.9.18(昭和44)

昭和期の民法学者、法学博士、弁護士

埋葬場所: 25区 2種 1側

 長崎県平戸出身。1921(T10)日本大学専門部法律学科卒業。同年、弁護士試験に合格。'23 ドイツのベルリン大学に留学し、その後、ハンブルグ大学に留学し、工業所有権の研究をし、'29(S4)ドイツ語論文『登記簿と工業所有権保護の役割』にてドクトル・ユーリス学位を取得する快挙を成し遂げた。
 '30(S5) 日本大学法文学部教授となり、民法や無体財産法を教える。主な研究は知的財産権、工業所有権法、親族法、相続法。'44 論文『工業所有権論』で法学博士。また、水泳部長として古橋広之進、橋爪四郎らを育てた。
 日本大学では法文学部長、理事、学長を経て、'58 日本大学第5代総長に就任。'68 総長在任中に日大紛争が起こり、その対応、収拾につとめた。しかし、キャンパス封鎖解除中に警察官が殉職した。この責任をとり日大総長を辞任した。'69 名誉総長。
 また日本学術会議会員、日本学士院会員選考委員、文化功労者及び文化勲章受章者選考委員を歴任。主な著書に『民法総則要綱』『法学通論』『新民法要義』『工業所有権論』『ひとつの心』など多数ある。
 加えて、'60(S35)日本大学創立70周年記念事業の一環として山梨県上野原に「日本大学明誠高等学校」を創設し、初代校長にも就任。その他、附属高等学校の設立にも尽力した。晩年には私財を投じ故郷に永田記念図書館(長崎県平戸市紐差町)を建設したほか、'66 長崎日本大学高校(長崎県諫早市)を創立し、翌年開校。
 日本における知的財産権、工業所有権法の権威として活躍し、親族法や相続法の研究などでも知られ、「誠」を旨とし、多くの人に慕われた。'67 勲1等瑞宝章受章。従3位。享年73歳。

<講談社日本人名大辞典>
<日本大学百年史>
<日本大学の歴史>
<墓碑など>


墓地 
永田菊四郎碑 永田菊四郎碑

*墓石は和型で「永田家之墓」、裏面「昭和二十九年十月 永田菊四郎 建之」。左側に墓誌が建つ。戒名は教王院永潤秀菊居士。前妻は繁子(S20.10.21・41才)、後妻は みね子(H18.4.7・98才)。右側に「永田菊四郎碑」が建つ。碑文の最後に「至誠一貫 努力ハ天才ヲ凌駕ス」と刻む。また「昭和四十五年三月」に建之したことと、妻みね子を筆頭に、長女啓子、長男譲、次男誠ら、5男3女の名前が刻む。

※個人的なことであるが、永田菊四郎が創設し初代校長を務めた日本大学明誠高等学校は、わが母校である。


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