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ながはま しげる

長濱 繁

ながはま しげる

1883.10.20(明治16)〜 1964.11.12(昭和39)

明治・大正・昭和期の医師、区議会議員

埋葬場所: 19区 1種 1側

 福島県双葉郡刈野村出身。久留米藩士の長濱粂三郎の3男。
 東京帝国大学医科選科卒業。1902(M45)東京市神田区美崎町に医院を開業。'17(T6)ドイツ、オーストリアに留学。ドクトルメヂチーネの学位を得る。'19 帰朝。泉橋慈善病院病理部に勤務後、東京市神田区北神保町に長濱医院皮膚科を再開業した。'28.12.27(S3)「脂肪物質注入に依る睾丸の組織学的変化」で慶應義塾大学から医学博士。
 著書は『性的神経衰弱の根治法』(1930)、『青年病及其根治療法 自涜の害と其疾病根治法』(1933)、『生殖器障碍神經衰弱 病理及根治療法』『性的悪習と神経衰弱の新療法』(1935)、『性典 男性編』(1941)などがある。石崎仲三郎との共著で『男女性典』(1938)がある。
 神田区会議員としても活躍した。'37.4.30 第20回衆議院議員選挙に立憲政友会公認で東京2区から出馬したが、定員5名のところ7人が立候補し1,470票差で次点で落選。戦後、'60.4 太田市医師会が誕生した際に初代会長に就任。

<大衆人事録 東京篇>
<帝国大学出身名鑑>


*墓石は和型「長濱家累代之墓」、裏面「昭和三十四年十一月建之 長濱 繁」。右側に墓誌が並んで建つ。墓誌には長濱繁を先頭に繁の子どもたちの家族構成も刻まれている。人事録に記載されている家族構成と異なるが、墓誌の刻みで紹介する。

*妻は アキ(M21-S40.8.5)。アキは福岡県出身、萱野要太郎の3女。長濱とアキの間には5男3女を儲ける。長男の長濱繁善(M42-S54.12.15)は慶應大学医学部卒業後、薬物学教室に入った医学者で、墓誌に「医学博士」と刻む。長女は1才で早死した京子(M41.8.27歿)。二男の繁徳(S16.9.8歿)は25才の若さで亡くなり、四男の繁正(S19.2.18歿)も25才の若さで戦死(最終階級は海軍軍医中尉)。繁の二女の登代子(M44生)は検事・裁判官の鈴木重雄に嫁ぎ、二人の間の二男で1才で早死した信雄の二人も墓誌に名前が刻むが、上から消そうとしているように見え、登代子の刻みがないため、改葬したかもしれない。なお鈴木重雄(S22.9.5・44才)には「判事」と刻む。繁の三女の 百合子(T4-S59.5.2)も同墓に眠る。なお、三男の繁直(T6生)、五男の繁正(T8生)は墓誌に刻みはない。どなたの妻かわかりかねるが、三枝(S59.5.2・76才)には「医学士」と刻むと、茂子(H30.4.5・94)も刻む。


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