メイン » » » 向坊 隆
むかいぼう たかし

向坊 隆

むかいぼう たかし

1917(大正6)〜 2002.7.4(平成14)

昭和・平成期の応用化学者

埋葬場所: 16区 2種 1側

 中国大連市出身。'39(S14)東京帝国大学工学部卒業。東北産業化学研究所技手、東京帝国大学工学部大学院在学を経て、'43東京帝国大学第一工学部講師、'47東京帝国大学助教授。 '54より4年間にわたり外務省に出向し、初代の在米科学担当書記官(初代科学アタッシェ)として勤務。日米原子力協力協定をまとめた。 '58東京大学工学部助教授として、工学部原子力工学科の創設に尽力。
 '59教授。専門は応用化学だが、第二次世界大戦前後にわたって、とくに電気化学の立場から、さまざまな金属、無機、有機系原材料と工業薬品の製造に関する研究に集中、工業物理化学という新しい分野の創生を担った。 昭和30年代以降、原子炉関連の材料に関わる基礎的研究、応用化学の分野においては電気化学に関わる基礎的研究など、いずれもエネルギー技術に関わる具体的かつ総括的な研究を、自ら指導した。 この間、京都大学、名古屋大学の教授を併任、数多くの国公立や私立大学における非常勤講師を勤めた。 '68.1大学紛争のピーク時に工学部長に就任、総長特別補佐、改革委員会委員長などの歴任を通じて紛争の終止に献身、さらに、'77.4より4年間の任期で第21代の東大総長として、東京大学の総合的運営に貢献した。 この間、日本の原子力政策を担い、'64原子力平和利用国際会議の日本代表。'81からは原子力委員の委員長代理も務めた。 今日わが国における原子力平和利用の礎として活動し、原子力委員会委員長代理、原子力産業会議会長としてわが国の原子力行政の指導者を務めた。
 また、わが国終戦後の早い時期から国際的な地位の向上に務めるとともに、発展途上国のために数多くの学術振興財団の理事長として、さらに個人的な奨学金寄付など、外国の若者に対する援助を公的・私的な立場から続けた。 東京大学を退官後も、日本化学会会長、電気化学協会会長、日本原子力学会副会長として、さまざまな学協会におけるリーダーとして尽力。 東京大学名誉教授。'89(H1)勲一等瑞宝章を受章。'92文化功労者。2002.4に国際原子力学会協議会のグローバル・アワード授賞。 同年7月4日、心不全のため亡くなる。享年85歳。没後正三位に叙するとともに旭日大綬章を受章。また世界原子力功労賞の3人目の受賞者にも輝いた。

<五輪塔様より情報提供>


 


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。