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もりやま えいいち

森山鋭一

もりやま えいいち

1894.12.17(明治27)〜 1956.6.9(昭和31)

大正・昭和期の内務・法制局官僚、政治家

埋葬場所: 20区 1種 8側

 三重県桑名市出身。伊藤伊右衛門の三男として生まれる。旧姓は伊藤。森山兵介の養子となる。
 1914.7(T3)第八高等学校を首席で卒業。'19.7 東京帝国大学法学部独法科卒業。内務省に入り、内務属の土木工営課に配属される。'20.10 高等試験行政科試験に合格。
 '21 警察講習所教授、埼玉県視学官、帝都復興院計画局制度課、復興局事務官、長官官房計画課などをを務める。'24.12 法制局参事官に転身。その後、賞勲局書記官、行政裁判所評定官、法制局第一部長、同第二部長、企画庁常任参与、企画院参与を歴任した。
 '41.10 東條英機内閣の法制局長官に就任。'44.7 まで在任。'43.1.14 貴族院勅撰議員に任命される。国語審議会などを務める。'46.5.15 貴族院が廃止されるまで在任した。同.12 弁護士登録を行い、弁護士として活動するが、公職追放。'51.8 解除後、'52,8 東京都地方労働委員会委員となり、'52 委員長に就任した。'54.7 退任。従3位 勲2等。享年61歳。

<政治家人名事典>
<日本近現代人物履歴事典>
<講談社日本人名大辞典>
<大衆人事録東京篇>


*墓石は和型「森山家之墓」、裏面「昭和三十二年六月九日 森山文夫 建之」。左面「従三位勲二等 森山鋭一 法積院釋法鋭居士 昭和三十一年六月九日 行年六十一才」。

*森山鋭一の妻は吉江(M32生)、小林菊次郎の二女。二人の間には1男2女を儲ける。長男は文夫(S5生)、長女は喜代子(S3生)、二女は智恵子(S8生)。


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