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もり やすさぶろう

森 安三郎

もり やすさぶろう

1880(明治12)〜 1952.9.25(昭和37)

明治・大正・昭和期の外交官

埋葬場所: 22区 1種 99側

 福岡県出身。修猷館を経て、1906(M39)東京帝国大学法科大学仏法科卒業。翌年、外務省に入省。 廈門領事館勤務を皮切りに、ホノルル総領事館、安東領事館で勤めた。'19(T8)済南総領事、'23イタリア大使館参事官となる。 '26.6.4落合謙太郎大使が一時帰国途上船中で病没したため、イタリア大使館臨時代理大使を務めた。 臨時大使となった12日後の6月16日に妻を亡くしている。'28〜'33(S3〜S8)チリ特命全権公使を務めた。従3位 勲2等。享年72歳。

<物故者辞典>
<朝日日本歴史人物事典など>


*墓石は和型で「森家之墓」。墓誌があり「従三位 勲二等 / 森安三郎」と没年月日と享年が刻む。

*前妻は日本天文学会初代会長、東京天文台初代台長、天文学者の寺尾寿の長女の敦子(同墓)。 墓誌の刻みより敦子は'26.6.16(T15)伊太利(イタリア)に於て死去、享年38歳と刻む。後妻は智恵子('98没 同墓)。 前妻と後妻との間に6人の子供を儲けており、長男は森久彌(2004没 同墓)。長女の綾子は平尾玄雄に嫁ぐ。 次女の露子は柳井深造に嫁ぐ。次男の龍馬(同墓)は硫黄島に於て戦死、陸軍中尉。三女の恵美子は森川正に嫁ぎ、四女の寿恵子は馬場忠七に嫁いだ。


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