メイン » » » 森 治樹
もり はるき

森 治樹

もり はるき

1900.5.3(明治33)〜 1994.11.4(平成6)

昭和期の実業家(資生堂)

埋葬場所: 19区 1種 11側

 鳥取県西伯郡夜見村上谷(米子市)出身。森作蔵の長男として生まれる。 小学校2年生の時に、父の大阪市役所への転勤により一家は大阪へ移り住む。 桃山中学を経て、1926(T15)神戸高商(神戸大学)卒業し、資生堂大阪支店に入社。
 '41(S16)財務部長となり、戦時下の苦しい中、経理担当役員として日々の資金繰りに奔走した。'44取締役。 終戦後の'47常務取締役となり、'61専務取締役、'62大阪資生堂取締役を兼務した。'64より第五代取締役社長に就任。'67相談役となった。

<鳥取県人物人材情報リストなど>


【資生堂】
 資生堂は1872(M5)漢方薬が主流の時代にあって、日本初の洋風調剤薬局として東京銀座に誕生した。 創業者の福原有信は海軍病院の薬局長で日本にはない医薬分業システムの実践を志し、資生堂を開業した。 資生堂という名称は、中国の古典『易経』のなかの一節「至哉坤元 万物資生」に由来する。 この一文は「大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる」という意味である。
 1888(M21)日本初の煉歯磨「福原衛生歯磨石鹸」を発売。1897(M30)資生堂は化粧品事業に進出し、「オイデルミン」ほか3品を発売。 オイデルミンは西洋薬学の処方に基づく科学的な化粧水である。1915(T4)ヘアトニック「フロ−リン」を発売。 同年、花椿マ−クが誕生した。1953(S28)たくさんの泡が出る煉歯磨「パール歯磨」を発売。 パール歯磨を日頃ご愛用いただいている各地のお子さんに贈る催し物で、5人のパールちゃんが童謡を歌う「パールちゃんの集い」で地名度をあげていった。 その他、男性用化粧品、ピンクの口紅など、今も昔も世に画期的な製品を送り出している。

<資生堂ものがたり>


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・ま | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。