歴史が眠る多磨霊園 |
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籾木卿太郎 | |
もみき ごうたろう | |
1867(慶応3)〜 1916.8.7(大正5) | |
明治・大正期の医師、政治家 | |
埋葬場所: 12区 1種 15側 | |
宮崎県出身。1887(M20)鹿児島医学校卒。医師となる。東諸県郡医会長、郡医、校医、日本赤十字社準備医員嘱託などを歴任する。衆議院議員(宮崎県選)となり、立憲政友会に属した。当選1回。 <歴代閣僚と国会議員名鑑> *墓石は「籾木家之墓」。左側に墓誌があり、墓誌には「籾木家先祖の墓は宮崎県東諸県郡高岡町龍福寺墓地に在り、昭和十一年八月多磨墓地に墓石建立に際し郷里より右の霊土を持ち来りて之を納む」と刻む。 籾木卿太郎には「前衆議院議員勲四等」と刻む。籾木卿太郎の長男である籾木穂積(S50.11.7歿 同墓)は「勲五等医学博士」と刻む。 籾木穂積は蒲田で眼科医院を開業し、蒲田医師会会長などを務めた人物。籾木穂積の息子3名は共に医者。長男は眼科医、二男は外科医、三男は産婦人科医。 長女の美穂は産婦人科医の大橋伝六郎に嫁ぐ。墓誌には籾木茂穂(H22.1.5歿 同墓)は「医学博士」と刻む。 | |
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